【愛着・AC 克服記録】Column 5-14 愛の証明 (急編 その12)
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【愛着・AC 克服記録】Column 5-13 愛の証明 (急編 その11)
5-14 急変 その12 「価値の横糸の正体は」→「縁(えにし)」
頭の中で済んでしまった話を書くのはモチベーションが低いので、あっさり進めていきます。
(挿絵は、適宜足していきます)
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前回のおさらい
・「無価値 = 無関心」と同じ
本当の意味で「無価値」なものは、人間には認識できません。
イメージしてください。
自分の住んでいるところから、500 km離れた都道府県のとある駅の前を、昼12時に歩いている人がいたとします。
「何か、ポジティブなり、ネガティブなりの感情、あるいは、この人はすごい!とか、こいつはダメだ!」という感覚が心のなかに湧くでしょうか?
おそらく、答えは「無」です。
いや、会ったこともない、面識もない人のことなぞ知らんし…
これが、「無関心」であり、「無価値」の正体です。
「無価値」とはすなわち、「どうでもいい = 無関心」です。
どうでもいいものに対しては、死んでしまえ、消えてしまえ、という発想すら湧きません。
(先程の人に、死んでしまえ、などの発想はわかないですよね)
なぜなら、「認識できない」から。
だから、あらゆるものは根本的には「無価値」なわけです。
何かしらと交わり、関係性を持つことによって初めて、「価値」が生まれる。
前回は、「価値」を無に帰してしまう「当然」への対処法と、「負の価値」を受け容れる「寛容」の話をしました。
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3-12. ①「価値の横糸の正体は」→「縁(えにし)」
↑では、「縦の糸はわたし、横の糸はあなた」
というタイトルで書きました。
中島みゆきの「糸」のもじりですが…
(縦の糸はあなた、横の糸はわたし)
実質的には、こちらのほうが正しいと酵母マンは考えています。
今回は、この「横糸」と「縦糸」の話をします。
横糸とはまさしく、「ある時間における、自分以外の他者との関係性」です。
では、その発端とは…
それが、「縁(えん、えにし)」です。
意識の中で認識できるものは、大なり小なり「価値」を持ったものに限られます。
「駐車場の小石の数はいくつですか?」と質問されてはじめて、
「そういえば駐車場には小石はいくつあるのだろう?」と、小石の存在や数に意識が向かうように…
これは、「無価値」のものは認識できないことを端的に示しています。
「無価値」が「価値」になった瞬間に、「縁」が生じます。
よーく考えてみてください。
コンビニに行った時。
全ての商品には「値段」がついています。
仮に、全てものモノ・コトには、あらかじめ「価値」が設定されているならば…
コンビニに入ったら、すべての商品に「価値」を見出す必要があります。
→なぜならば、あなたが無視をした商品は「生まれ持った価値をもっているはずなのに、あなたは『無価値』と判断したから」
→その行為をした瞬間、あなたは『自分自身も無価値と判断されてもしかたない』と、自分自身で宣言してしまっている
のです。
だ・か・ら
「全てのモノ・コトは、もともとは価値を持っていない(背理法)」
そして。
何かしらに価値を見出す、その習慣に「縁」が生まれる。
ということは…
「縁のはじまり」というものは、「かなり瞬間的な性質」を持っている。
かばんに忍ばせておいたティッシュ。
健康な時、平常時は特に価値はない(安心感はあるかもしれない)
でも、つい花粉症で鼻水が出た時、だれかの服が汚れた時、無価値だったティッシュに、瞬間的に価値が生まれる。
価値は状況に応じて乱高下するものなので、「瞬間的な価値」を追求する人生は、株のデイトレーダーのように価値=瞬間的・刹那的になる。
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3-12. ②「縦糸の正体は」→「時間軸を含んだ、螺旋状の縁の結びつき」
横糸の「価値」は、「瞬間的な縁のはじまり」でした。
そこに、時間軸を加えると…?
それがこの絵。
少なくとも人間の世界は、瞬間的な横糸と、継続的な縦糸
で構成されています。
縦糸と横糸が組み合わさることで、大きな布が形成されます。
これが、「縦糸=個人と、横糸=価値で形成される社会」
(上の図)
一方、2つの糸が瞬間的ではなく、継続的に交わり続けると…
それは2本の糸が結(ゆ)わえられて、1本の糸となります。
(下の図)
「布型の交わり型(社会)」=他人との交わり方であり
「撚(よ)り糸型」=人生をともに歩む人
であるといえます。
「縁のはじまり」には価値が最も重要ですが、
「螺旋状の縁の結びつき」には、価値よりも存在そのものが重要になります。
存在、には必然的に「時間の積み重ね」が含まれます。
だから、本当に存在感がある人は、刹那的な「お金持ち・権力者・人気者」ではなく、長い時間に渡って通じるものをもっているわけです。
これは、「配偶者」にも同じことがいえます。
配偶者に対して「比較」の感覚を持つならば、それは真の配偶者とはいえないでしょう(童貞が何をいうか笑)。
「あの人と付き合っていたらもっと幸せだった…」
「まぁ…自分にはこのくらいの人がお似合いでしょ…」
「自分にとってこの人は、最高!」
全部、「価値の比較」が前提にある考え方。
最も重要な、「存在同士の時間的なつながり」の認識を欠如している。
これは、横糸の縁の発想 = お金でどうにかなる。
「他がどうこう、じゃなく、この人と長い時間を共に過ごしていくんだ」
これが、縦糸の縁です = お金「価値の具象物」ではどうしようもできない。
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んま、価値のイメージ、縦糸の螺旋状の存在のイメージ、が伝わっているとうれしい!
今後は、こんなかんじでちょっと軽めに書いていきます。
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(一旦ナンバリング変えます)
Column 6-1 「お金とは?」→「価値の世界では重要な『愛情表現』」