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【愛着・AC 克服記録】Part 7 ノートを使ってインナーチャイルドと対峙
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愛着障害・アダルトチルドレン 克服記録
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「ながらで克服!」〜愛着障害・アダルトチルドレンを克服した中の人の話〜
#009 ノートを使ってインナーチャイルドと対峙 (Part 7 解説)
note (Link) Radiotalk (Link)
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(2018.10.19 Twitter より推敲・再掲載)
(ここからの話をイメージしやすいように図を付けます。本当に、自分の中で、こんな状況になっているんです。)
7-1. ノート療法に取り組む
ここで再び100均で買ったノートとペンが出てくる。
以前は、"自分を褒める" という治療法のために買ったが、いまいちピンと来なくてすぐやめた。ただ、田房さんの著書に出ていた方法が即効性に優れたことを考えると、1つの結論に至る。
「感情と真摯に向き合う方法は、即効的に効果を実感できる」
― ―(以下、当時の Twitter)― ―
(2018.10.08) (Twitter 風に書いてます)
愛着障害とか、アダルトチルドレン克服の話でたまに出てくるノートに色々書くという話。しかし、実際どうやってるのか、何を書いてるのかは誰も晒さない (そもそも恥ずかしい)。そこで晒してみることにした (正しいやり方かどうかはこれから修正)。
100均で買ったメモ帳。1枚目は今日の冒頭。追い詰められた状況を素直に書いてみた。2枚目は高ぶった感情をそのまま文字にしている。正直自分でも読めないけど、このノートは素直になんでもぶつけて良い。
3枚目は、その数分後。愛着障害とかアダルトチルドレンについて振り替える中での、中学時代のあたり。ノート上で自分同士が対話することで、いままで気づかなかった「なんか変だな?」という新しい認識が出てくるのが面白い。
(再掲載時注: "石井 (いしい)" = 他人の意志をインストール、"平和 (ピンフ)" = 両面待ち = 自分の中に表と裏の二面性が生じている、の意味 (麻雀の役です)。手で書くのがめんどかったので略語を作った)
(2018.10.08, 同じ日)
ノート療法を始めてまだ数日だが、既に効果を感じている。
1. 自分の "心" を直接反映できる。
頭の中だけでやると、正直な子供のような叫びを、大人・理性的自分が同時に押さえ込むのでひたすらネガティブになる。
一方、ノートを用いると、"書く" という物理的なタイムラグを作ることで、子供ターンと大人ターンが同時にならない。筆が進むと、子供ターンばかりになって感情的にもなるが、1ページも書くと子供が泣き止むように冷静になれる。直接手書きすることで、感情も出せることもタイピングより効果的。
2. 一番面白いと感じたのはここから (実際やるまでこんな効果もあるとは気づかなかった)。頭の中でやると、否定的に働く "大人・理性" だが、ノート上で子供ターンを爆発させることで、"大人・理性" が子供な自分をなだめ始めた笑。
イメージとしては、家の中では叱りつけて感情を押さえられていた子供が、道の真ん中で大泣きし始めたことで、なだめざるを得ないかんじ。
そうした時に、僕の "大人・理性" がどう反応したのか?
なんと、子供な自分を褒め始めた。
「そうはいっても、君は愛着障害というハンデを負って頑張ってるじゃん」という具合 (実際自分の手で書いてる)。
この "褒める" ってのが愛着障害、ACには難しいし、心の深い部分に届かなくて困るんだが、
子供部分を爆発させる (頭の中だけだと大人・理性部分がすぐ押さえつけてしまう) → 感情の防御が緩くなる (隙が生まれる) → なだめるために言う誉め言葉が隙間から染み込みやすくなる。
という具合か?
100円でこの効果ならば、しばらく続ける価値がありそうだ。
こんな具合で、僕はノート療法 を続けた。
(ノートの中身は、可能な限り「Note」というコラムを設けて出します。こうゆうかんじでやるんだ!と理解していただけると幸い)
(再掲載注: ここで、もう一度 "感情" と "理性" の定義を確認)
感情: 「自分 → 他」の方向性を持った意志。(〇〇したい、〇〇と感じた。)
理性: 「他 → 自分」の方向性を持った意志、に "対処するための意志"。
(〇〇でなければならない、〇〇すべき)
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7-2. ノート療法の効果 ― 感情の蘇生
もう少し、やる上で意識したことを書くと、
1. 「対話のような形式」にしようと思った (自分の中でカウンセリングすることをイメージしたら自然とこうなった)。
2. 第三者を設定して三者面談するのではなく、"子供 (感情)" と "大人 (理性)" を直接向き合わせた。
ただ、感情が大きく動くから、感情的にも身体的にも動揺が大きかった。最初は、寝る前とか、ある程度リラックスが維持されて、その後休める環境でやるのがよかった。僕の場合は、"子供の感情の爆発” 自体は2日くらいで起きなくなって、子供と大人が冷静に対話できるようになった。
ここまで来ると、ノート療法自体がめちゃくちゃ楽しくなる。なぜなら、まず手が勝手に文字を記述していく感じになる (もう、手と脳が完全にシンクロしている状態)。
話す内容は多岐に渡る。
"将来どうしたい? → んーわからん"
"今一番欲しいものは? → 一番心理的に信頼してる〇〇さん"
などなど。
誰の目を気にする必要もなく、心の壁の存在すら意識せず (当然といえば当然)、自分の感情と理性が対話を続ける。
多くの場合は、理性側が質問する。"何がしたい?" "どう思う?"。しかし、時には感情が主導権を握る。"(理性) 正直まわりの人の意見取り入れて考えちゃうんだ → (感情) 嫌なら嫌でいいじゃん"
この、"取り残された子供 (感情)" と "毒親化した大人 (理性)" が、対話を続けることで、大きく開いていた溝がなくなり、最終的には対等に意見を表明できる状態。
これこそが「自分の育て直し」なのだと思う。
考えてみると、「愛着障害・アダルトチルドレン」の克服とは、あらゆるズレ・溝を修復していく作業だったことがはっきりわかる。
認知行動療法 = 外界と自分の認識とのズレを理解し、溝を埋める。
「今、ここにいる」法 = 自分の体と、過去や未来に飛んでいった自分の意識のズレを元に戻す。
「自分の育て直し」 = 自分の感情と理性の、時間的・認識的な溝を埋め、対等な関係を作る。
(2021.06 この作業も確かに自分の育て直しなのかもしれないが、また別の意味での自分の育て直しも必要です。ノート療法を使ったこの段階での「自分の育て直し」は、母性的愛情 = ありのままを受け入れる力で自分自身を受け入れていく作業です。それに対して、愛着障害を克服した後は、社会で生きていくために、自分の子供の部分を大人に成長させるという作業が待っています。ここに必要なのは、ありのままから変化していく力 = 父性的愛情です。ここも激ムズ)
ノート療法は、自分の使いやすいように使うのがベストだった。現在抱える問題の理解を深めるためにも、凪になって無気力になった自分を仕事に向かわせるのにも、過去を思い出して嵐になった感情をぶつけるためにも。
そう、この作業は、「感情の解放」などという生易しいものではない。
自分がこれまでの人生で、散々抹殺してきた感情の声に真摯に耳を傾けて、嬉しいも、楽しいも、悲しいも、辛いも、全部噛みしめる。
「感情の蘇生」だ。
そして、感情が本当に求めていたものは、親とか、友達とか、社会の人々からの謝罪ではない。他でもない、生き抜くために感情を抹殺してしまった、「自分の理性からの謝罪」であり、「理性が罪を認めて懺悔する」ことだったのだ。
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7-3. アダルトチルドレンの悪質な症状 ― 依存体質
少し時間軸が前後するが、8月終わりに僕の精神が限界を迎えた時に感じていたこと。
「自分が何をしたいのかわからなくなった」
僕はこの頃の認識として、「まるで他人の意志をインストールされてるみたいだ」と捉えていた。今の認識からもう少し表現を広げるなら、頭にはUSBが挿され、Bluetooth で遠隔操作され、Wi-fi から情報が流れ込み、有線経由の充電が常に必要、みたいな (まさにエヴァンゲリオン初号機)。
この「自分以外のあらゆるもの (人・物事、運命も含む) に身を委ねてしまう」ことが、アダルトチルドレンの悪質な症状だと思う。
色んなものが接続された依存状態は、最早その人の生き方・行動基準と同化しているから、意識的に、全てを切り離さない限りは克服にはならない。
"親" との関係さえ精算できれば克服、などというい甘いものではない。
その状態は、ただ、他の何かに依存して、安心しているだけだと思う。
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7-4. 愛着障害にたどり着く ― 「何か」が足りない
話をノート療法に戻す。
子供と大人がわだかまりを解消し、対等になればなるほど、ある感覚が全く未解決であることが浮き彫りになってくる。
「とにかく寂しい、満たされない、飢えてる」
何にか、と問われれば "愛情" になるわけだが、言葉ではわかっても愛情の実態は全くわからない。これは "感情" 的にも、表現が変だけど "理性" 的にも感じているもので、感情と理性の間のやり取りで満たされるものではなかった。
そして気づく。
「なるほど、これが愛着障害の本質だ」
とにかく、何かが足りないんだ。だから、この足りなさを満たすために、幼い自分は感情を捨てて親に依存したんだ。
この辺まで認識が来ると、問題の本質や構図が視覚的に理解できてくる。
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(Note パートは1から4まであります。飛ばしたい人は、下のリンクから)
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