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【必読! 面白いエッセイが書きたいあなたへ】大切にすべきはテンポと視点(2017年9月号特集)
※本記事は2017年9月号に掲載された朝井リョウ先生のインタビュー記事を再掲載したものです。
短いエッセイは「引き寄せて、引き離す」構造で書くのがポイント
――新刊エッセイ『風と共にゆとりぬ』も、前作『時をかけるゆとり』と同じく、「電車の中で読むのは危険」と言われるほどの爆笑エッセイとして人気です。
昔からさくらももこさんのエッセイ3部作が好きで、僕の中で「エッセイ」というと、あのイメージなんです。日常で起こった面白おかしい出来事が長めに書かれていて、それが20コくらい入っているような。
自分が小説家になったら、特に得るものはないけれど、ひたすら楽しいエッセイ集を出してみたいとずっとずっと思っていました。
――小説とエッセイはどう書き分けていますか。
小説は喜怒哀楽の「怒」が出発点になりますが、エッセイは「面白いこと」が最優先です。
小説は読み手によって解釈が違うという言い訳ができますが、読み手のジャッジが「面白いかどうか」のみに絞られるエッセイは逃げ場がない。発売前に緊張するのは断然エッセイ。芸人さんがネタを披露する前のような気持ちです。
――「面白いこと」とは何ですか。
失敗談を書くことが多いですね。めでたしめでたし、うまくいきました、という話を書いても自慢話にしか聞こえないですから。
――新刊では痔瘻の発症から手術、入院までをつづった「肛門記」など、自分をさらけ出したエピソードも多いですね。
手術前に、経験者のブログを読みあさったのですが、どれも雰囲気が暗くてどんどん不安になってしまって……。未来の患者のために明るいものを書きたいなと。
屋久島について面白おかしく書いてある森絵都さんのエッセイ『屋久島ジュウソウ』のように、「肛門記」も痔瘻界のバイブル的な文献として残ればいいなと思っています。
――『風と共にゆとりぬ』には、400字詰原稿用紙で20〜30枚の長いエッ
セイが多いですが、日本経済新聞の夕刊で連載していた1400字程度の短いタイプも収録されています。
短いものは「入り口と出口を変える」という方法論で書いています。長いエッセイのほうが読むのも書くのも好きですが、エッセイ公募ならこちらのほうが参考になるかもしれません。
――エッセイ公募は、あるテーマに沿って2000字程度でまとめるものが中心です。朝井さんならどう書きますか。
「テーマに引き寄せて、引き離す」といった感じになるでしょうか。まず、テーマを自分の身の回りのことに置き換え、「この人の話なのかな?」と引き寄せたところで、最後にテーマそのものへと飛躍させ引き離します。飛躍かと思いきや、1段落目が実は伏線になっていた、となるのが理想です。
「どう書くか」の土台にあるのはさくらさんのエッセイ
――学生時代のエピソードも鮮明に描き出されていますが、日記やメモは残してあるのですか。
特にありません。メモがあるとかえって思い出がすべて同じ質量で残ってしまう。思い出そうとしたときに、自然によみがえってくるいくつかの山が、たぶん、面白い部分なんです。
エッセイの場合は記憶の濃淡がそのまま起承転結のプロットになります。すでに出来事は起きているので、どの部分をどれだけ書くか、というバランス感覚が大事ですね。
――「あんなに面白かったのに、いざ文章にすると面白くない」ということがよくあります。「どう書くか」について具体的に教えてください。
ずっとふざけ通しだとクドいし、笑いのポイントがなさすぎるとただの日記になってしまう。どのあたりにくだけた一文を入れると読みやすいか、という判断は、小学生のころから繰り返し読み続けているさくらさんの文章のテンポをそのまま応用している気がします。
エッセイの場合、とにかくテンポが大事だと思います。自分が好きな作家の文章を繰り返し読むと、そのテンポがインストールされるはずなので、書くためにはまず読むことをおすすめします。
――好きなエッセイをとことん読み込むことも、「どう書くか」を習得するコツの一つなんですね。
はい。あとはやはり視点ですよね。作家の仕事って、全く新しいことを書くというよりは、愛とか人生とか、すでに書き尽くされたことを自分なり描き直すことだと思うんです。そのときに重要なのは文章力と自分なりの視点です。
そういう意味では、ラジオも勉強になります。毎週フリートークをする芸人さんは、「映画館に行った」みたいなよくある出来事で15分とかしゃべります。これは独自の視点がないと不可能です。
――朝井さんは、ものの見方をどう身につけたのでしょうか。
小学4年から6年まで日記を毎日書いていたのですが、今思えば先生を読み手として意識していたのが大きかった気がします。
運動会のあとは「みんな運動会について書くんだろうな。先生、かったるいよな、かわいそう」と同情していました。それで自分はみんなとは少し違うことを書いてやろうと考えていたんです。
――読者が自分なりのものの見方を身につける方法はありますか。
読み手の気持ちを知るという点では、一度、エッセイ公募の審査員をやってみるのもいいかもしれません(笑)。テーマを正面からとらえた当たり前の作品ばかりだったら、ちょっと切り口の違うものが読みたくなりますよね。
もちろん、面白さを追求する公募ばかりではないので当てはまらない場合もあるかもしれませんが、審査員の立場を想像してみるだけでも見えてくる景色は確実に変わると思います。
エッセイを書く人には2種類いる。自分はどちらか考えるのも大切。
――PR誌『ちくま』でのエッセイ連載「ネにもつタイプ」は、足かけ13年の長期連載です。
本当にもう何も書くことがありません(笑)。
――何もないところから題材をどうひねり出すのですか。
どうにか書き始めると、つられて記憶が芋づる式によみがえることもあるから不思議です。一方で、奇妙な経験をすると、友達から「これで1本書けるね」と言われますが、いざ書き始めると3行で終わってしまう。ただの事実の報道になってしまう。
エッセイを書く人には2種類いて、面白い経験をそのまま書いて面白くできるのは、たとえば赤瀬川原平さんのように自分の中にユニークな角度があるタイプです。私は自分の中で消化してから書くタイプ。独自の発想はないんです。
――意外です。朝井さんのエッセイは目の付けどころが普通とは違うので、発想力に富んでいると思っていました。
発想力があれば、こんなに毎回書くことに困っていません。何か経験しても、それを文字にできるまで数年、ときに数十年とかかります。消化されて澱のようなものが溜まり始めてようやく使える状態になるという感じです。
――消化されて澱が溜まるとは?
本を読んでいるわけでもなく、テレビを観ているわけでもない、ひたすらボーっとしている状態のときってありますよね。脳がアイドリング状態で、低く活動しているような。
そういうときに、毎日何かしらしている経験を、自分の中に記憶として留めるか、忘れてしまうかの作業が行われている気がします。きちんと覚えておくまでもないけれど、忘れてしまうのは惜しい、というようなものが澱になって溜まっていくんです。
最近、問題だと思うのは、ついスマホを手に取ってしまい、ボーっとする時間が奪われていること。スマホは敵です。
朝井流これができれば一級のエッセイ
自分なりの視点がある
独自の視点があれば、「歯医者に行った」というごく日常的な出来事も、人を楽しませるエッセイになる。
語尾にも目配りしている
すらすら読める文章は、同じ語尾を続けないなど、語尾へも目配りが効いている。
細部にこだわっている
細部へのこだわりでリアリティーやおかしみの度合いは違ってくる。「肛門記」では手術で使った尿道カテーテルの太さをスタバ、マック、ドトールのストローで表現。
さくらさんから学んだこと
リズムとテンポのよさ
すらすら読み進められ、ドライブ感ある文体は、さくらさんのエッセイを繰り返し読むことで体得した。
あえて小難しい言葉を使う
小説に使うと腹が立つ小難しい言葉も、エッセイならおかしみが出るのでよく使う。さくらさんのセオリーの一つ。
タイトルはシンプルに
『ちびまる子ちゃん』というタイトルのようにシンプルが一番。凝り過ぎたタイトルや本気すぎるペンネームは逆効果。
朝井リョウ
1989年、岐阜県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞受賞。2013年、23歳のとき『何者』で第148回直木賞受賞。
特集:描けば心も財布も満たされる!エッセイ公募
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※本記事は「公募ガイド2017年9月号」の記事を再掲載したものです。