独白 自己表現の苦悩
幼稚園、小学、中学校、そこまでは絵がうまいねって周りに言って貰えて、ああ自分は絵が上手いのか、得意なのか、と思っていました。
でも高校生になってTwitterを始めて、自分が井の中の蛙だと知りました。絵が上手い人、この世の中にたくさんいるし、自分は道端に転がってる石ころのその中でも人目に付かないくらい隅の隅にある石ころです。
それで諦めて、関係ない道を選択しました。でも諦めきれなくてスクールに行きました。自分がそうだったように、 "人の心に残り続けるものが作りたい" 一心でした。でも仕事にすると当たり前ですけど、 "人が求めるものを作る" 必要があります。自分で作り出すことができない、出てこない、表現できない、時間に間に合わない、焦燥感。
挫折しました。
挫折の連続で、ずっと絵を描き続けることができなかった。映像を作り続けることができなかった。文章を書くこともできなかった。声劇も本気になれなかった。全部全部、手からこぼれ落ちていきます。私に残ってるものは何もない。
今までの人生、バレエや色んな楽器、その後アコギで弾き語りやジャズや朗読に手をつけたりしました。簡易的な雑誌も作りました。やって満足。でも何にも残ってないです。何にもない。空っぽ。空虚なんです。虚しくて虚しくて仕方ないです。
熱中できることがある人。羨ましくて仕方ない。夢中になれるものがあるのも堪らなく羨ましいし、不甲斐ない自分が悔しくて堪らない。
前に向かって進んでる人は言うんですよ。こう言うこと言ってると外野の人も言う。「書け、やれ、手を動かせ、行動しろ」
自分が一番よく分かってる。自分にも脳内で毎日言ってます。
怖いんですよ、自分で作ったものを公開するのが。色々しました、デザインとか動画アップしたりとか。自分が作ったもの見れないんですよ。怖くて怖くて、恥ずかしくて。見た人にどう思われるのか分からなくて。
『きっとバカにしているんだろうな』『笑ってるんだろうな』『こんなの自分にも書ける(作れる)』『センスない』
デザインスクールの先生にもバカにされたりしました。向いてないかもなぁって、もう苦しくて。苦しくて。自分には普通の仕事とか無理だから、せめてせめて創作では何か残したいと思っていたんですけど。
何度筆を置いても、こうして文章書いたり、絵を描いたりして。自分の中だけで止めておくことも勿論できます。でも作ったからには人に見てもらいたいです、知って欲しいんです自分の存在を。自分が何を表現したいのか、その背景に何があるのかとか。
言葉を使うと大体文句付けられたりします。ネットでも現実でも一緒です。当たり前ですね、人それぞれ考え方が違うから。ただその一言に傷つくんですよ。言い返してもやはり感情が強い人には敵いません。
自分の存在って人に蹴られるためにあるのか。
自分の存在って人の感情のゴミ箱なのか。
死にたい苦しい辛い楽になりたい解放されたいやることやったからもういい疲れた考えたくない思考をやめたい。
心から楽しいと思えるようになりたい安心して生活したい気を張らずに時間を過ごしたい。
音楽家とか芸術家とか、夢中になれることがあるからすごく強いと思います。それを継続するのもすごい。それが自分にはできていない。楽しいと思えない。だから何してもダメなんです。色々試したけどダメだった。それでも自己表現するには "絵" "小説" っていう抽象的なもので表現するしかない。しかしそれも思うようにできない。人に残らない。虚しくてたまらない。
創作って、自分で作り出すって、自分の中にあるものを表現するから、怖いんですよね。デザインプレゼンの時なんて怖すぎて泣きそうになりながらプレゼンしました。基本的に自分が作り出すものには自信がない。
これでいいのか、あーだこーだ考えながら作ります。よしこれでやろうって作っても思うようにできなかったり、できても簡単に人に否定されるんですよ。一言でだめ。それで終わり。何も残らない。自分の手元にあるものが、ついさっきまで輝いていたのに、途端にガラクタに見える。虚しくて仕方ない。
自己表現がうまくできない。気持ちが伝わらない。歯痒い。創作で表現しようとしてもうまくできず地団駄踏む。文章にしても人に言い負かされて結局終わり。口で言うのなんてもっとダメで、話聞いてもらうと言うより自分がずっと聞き役になります。
私の気持ちってどこにぶつければいいんでしょうかね。たどり着いたのがブログでこうしてダバダバ文章書き殴ること。それもいつコメントがくるのか、否定的な言葉が届くのか怖くて堪らないです。
自分の気持ちってどんな形であれ表現しなければいけない、でないと誰にも届かないから。それもものはの剣なんですよね。
空っぽなもんだから、目標もない。
妥協もしたくない。わがままですね。かといってじゃぁ手を動かしてるかといえば、動かしていない。勉強だってしていない。してなんになるのか、なんにもなりやしないじゃないか。そうやって不貞寝ですよ。滑稽ですね。
入水もそうですけど、救いが欲しくて太宰先生のお墓参りに行きました。その後色々あって、病院の先生の勧めもあって私は小説を書くべきなのかな、と思ったりもしました。縋ろうとしました。
書く前に諦めました。書けない。表現し切れない。周りの方がよっぽど情緒ある文を書く。
作っても虚しくて堪らない。かと言って人から反応が良かれ悪かれくるのも怖い。数字で評価されるのも怖い。そもそも作品という作品を作れたかというと、数える程度しかない。
絵でやって行くのか、文でやって行くのか。このまま死ぬのか。
死んでもやりたいことはやり切ったのでずーーっと書いているように、人生に終止符を打つということで自裁死も全然納得しています。好きな音楽聴きながら逝けたらそれでいい。
でも現状生きているからには嫌でも呼吸するし、月々の支払いはしなければいけない。社会の枠にハマっているからにはその義務がある。そうすると自分は感情を消すということはできないから、発散する必要がある。自分の存在を認めてもらいたい、承認欲求ももちろんある。こんなでも人間だもの。そうなるとゴミ箱や蹴られるためのガラクタでいるのだって辛くて苦しくて堪らない。
こいつにはこういうことしていい、何言ってもいい、死ねって煽って遊んでもいい、怒鳴りつけてもいい、感情ぶつけてもいい。それはやっぱり虚しくて。自分の考えも聞いて欲しくて。
自分の世界ってどう作ればいいんだろう。
どうすればいいんだろう。
迷わずに絵描いていたり音楽作ったり、努力してると思わずに楽しくて仕方ないからどんどんやってるみたいな人羨ましい。幸せなことだろうな。手が届かない。
自分は空っぽなもんだから、作っても空虚なものしかできずにぐしゃぐしゃにしてポイとしたくなる。
かと言って、自分に刺さる作品に出会うと自分も何か人に残るもの作りたい、自分も表現したいと思う。
その表現したいものや伝えたいことが明確でないから、結局筆を置く。その繰り返し。
ずーっと檻の中から空見てるのかなぁ。
創作者に成りきれず、ビジネスクリエイターにも成りきれず、自分にすら成りきれず、何なんだろう。ずっと彷徨い続けてる。信じてできない。
デザインも絵も何も、自分より上手い人いるのに自分が書く必要があるのか?でも表現したいものは自分にしか表現できない。それを人に見てもらって何になるのか、どうしたいのか?もう考えると身動きが取れない。うだうだ考えてる間にやってる人はやってるんだろうけど、そんなん土台が違うから比較したってどうしようもないのは分かってる。
どうすればいいんだろうなぁ。何をすればいいんだろう。何がしたいんだろう。ずっと救いを求めてる。救いなんて死しかないのに。わからないなぁ。
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