8)お父さんの年金停止を
葬儀社の世話人さんに言われた通り、すぐに年金事務所に電話しました。
と言いたいところですが、疲れているのと眠いのと何が何だかちゃんとわかっていないのとで、一週間くらいボーッとしていました。
ハッと気づいて、年金事務所に電話をしました。父の「ねんきん定期便」と「年金手帳」を探し出して、手元に用意して電話したのですが。
とにかく電話してみたら
父が死んだことを伝えると、父のフルネームと生年月日を聞かれました。手元の書類などとは無関係に、用意するものを次々と言われました。
必死になって取ったメモが、今は行方不明です。でも必要書類は人によって違うと言われました。
覚えているのは父の「年金手帳」と「戸籍謄本」と「除住民票」の3つです。
戸籍謄本よくわからず
父の本籍があるB市役所に電話しました。
父が死んだから戸籍謄本が必要だと言うと、相続関係のものもいるでしょうと言ってくれたのです。なんて親切なんだろう。
家と銀行の相続があるけれど、何がいるのかよくわからないと話しました。すると、こちらで全部出しますからと言ってくれました。
B市役所のサイトから、教えてもらった申請書をダウンロードして、言われた通りに書いて郵送しました。
この時に、(戸籍謄本などを取る手数料の)支払いは定額小為替になるけれど、どれだけ必要になるかわからないので、余分に送ってくださいと言われました。
「余分」というのがよくわからなくて、思い切って3千円分の定額小為替を郵便局で買いました。1枚あたり百円の手数料がかかるとは知らなんだ。びっくり。千円を3枚購入です。
出生から死亡まで
ダウンロードした「戸籍謄本・抄本等交付申請書」に必要事項を書き込み、
言われた通りに「必要なもの」の欄は空欄にして、「必要なものがわかりにくい場合は、誰のどのような内容のものがいるのかを詳しく書いて下さい」
という欄に「相続のため父○○の出生~死亡するまでの戸籍が各1通必要」と書きました。
戸籍謄本を待つ間に、ネットでいろいろ調べようと思っていたら2日で届きました。早っ!
返信用封筒には、戸籍謄本(現在戸籍)と除籍謄本と改製原戸籍が複数入っていました。思っていたより多かったです。お釣りが750円分の定額小為替で入っていました。
「改製原戸籍」とは何か、ということを全く知らなくても、特に困ることなく手続きは進みます。
300円の白い紙
父の「除住民票」というものを取りにA市役所(最後の住民票があったところ=今、住んでいるところ)に行きました。
すると、年金事務所で白い紙をもらってきていないかと聞かれます。
いいえ、と答えると、白い紙があれば無料で出せるんですけど、なかったら300円になりますけど、どうしますか?と言われます。
年金事務所への往復交通費と手間を考えて300円払いましたが、前もって知っていれば、自転車で年金事務所に行ったのになぁと思いました。
なんだかんだで、年金事務所に行くために必要なすべての書類が揃うのに10日以上かかってしまいました。
書類に漏れがないか電話で確認して、手続きに行く日時を予約したのですが。
年金の手続きは母に頼むことにしていたので、嫌がる母を無理矢理連れて行くのが何よりの苦労です。
この後、いろいろな手続きがありますが、戸籍謄本などの書類は「返してください」と言うと必ず返してもらえるので、手続きごとに使い回すことが出来て、これはホントに助かりました。
腱鞘炎になりそうな
必要書類を窓口の人が確認した後、膨大な量の書類に、母は住所と名前と生年月日を書かされました。おそらく7、8回は書いたと思います。
パソコンを叩き続けた後、書類をバサバサ重ねる職員さんの手が止まると、ではこれで手続きは終了となります。次の振り込みは4月になりますので、ご確認ください。今日はお疲れさまでした、
と言われて終わりました。確かに疲れた。
年金決定に不思議さが
父の年金の半額と母の年金とを比べて、多い方を受け取ることになる、と聞いていました。
でも母の年金は変らず、遺族年金が少し入ることになりました。
人から聞いていた話とはなぜか違うことになったのですが、理由はともあれ、母の通帳に入る金額は、思っていたより多くなりました。
これで母の機嫌もすっかり良くなりました。
書き忘れていた、火災保険について
ずいぶん前に書いた火災保険の名義の書き換えですが、これはお葬式の3日後に証書を見つけて電話をしました。書類を送ってきてくれたので記入して送り返しました。
2週間くらいで名義が「法定相続人」になったというお知らせが届きました。
正式な火災保険証書の名義変更は家の名義を変更した後になる模様ですが、いまだに(9月)何もこないので少しビクビクしています。
法的なことや金額・手続きの詳細については、わたしの場合でしかないのでご了承ください。(全13回)
【シリーズ:お父さんが死んだ後】でした。
イラストは「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。
何かおいしいものないか、と父が言った時に、ソーダのアイスを冷蔵庫から出すと笑顔になって、ありがとうと言いました。父が死んでから、我が家の冷凍庫からソーダのアイスが消えました。どんなに寒くても必ずあったのですが。
地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)