自分らしくいたいと思ったら、地声を意識することを提案したいな。
自分を好きになるとかありのままでって、よく聞く言葉だけど、正直どんな状態になればそれが達成できたことになるのさってずっと思っていて。そもそも自分がどういう人間かってよくわからないし、この世の中でありのままで生きるって無理ゲーだぜって。でもこの前「あ、これ。この状態が自分らしさに近いかも」ということがあってさ。
昔から声がとてもコンプレックスだったのよ。ハスキーだねってよくいわれたし、声が低いことで男の子と間違われることもあった。母からは、
『あんたの声は低くてくぐもってるから、聞こえづらい。声高めにハキハキ明るく話した方がいいよ』
ってすんごい具体的なアドバイスもらったりした。確かに、会話しててもよく聞き返されるしと、高校生ぐらいから高めに声を出すようにしていた。人前で発表する時とか、接客する時、電話に出る時とか。基本印象を良くしたい時にそうしていて、つまりは外面よくしたかったり、人の顔色うかがったり、本音を隠してる時だったんだけど。最近、人と関わる時のデフォルトが高い声になっていると気がついた。え、それって常に本音を隠している状態じゃない?と思ってさ。
それで最初の話に戻るんだけど。“ありのまま”ってのはどういうことだろうと考えた時に、一つの方法として『どんな時も地声で話す』ってのをやってみることにしたのよ。全友人に、義理の両親に、保育園の先生に、マンションの管理人さんに、ほけんの窓口の人にも。みーんなに同じようにね。そしたらこれが性に合ってみたいで、この3週間、どこいってもそのままの自分でいられた気がしたの。よくやっていた1人反省会の回数が圧倒的に少なくなったし、会話の中に訪れる“間”とかに怯えなくなって、自分のペースで会話ができたから。
それで、少し似てるな、と思い出したことがあって。昔、英文学科の姉に聞いたんだけど、“人は使う言語によって性格や人格が変わる”らしい。英語を話してる時は、日本語を使う時と比べて陽気だったり物事をはっきりいえるようになるとか。当時それを聞いて思ったのは、「確かに、地元弁話すのと標準語のわたしってキャラ違うよな~」ってことだったんだけど。今思うのは、声が高い時と地声の時のわたしってなんか違う性格していたなぁって。地声がありのままのわたしだったんだなって。当たり前だろって思う?でも、結構わたしは衝撃的な発見だったよ。
だからもし、自分のままでいようって決めて、自分らしく過ごそうって思ったなら、地声を意識するっていいよと提案したい。
そんな小手先なこと、って思うかな?でもさ、案外これが心地いいぐらいの一歩のような気がしていて。今すぐに始められることだし、騙されたと思ってやってみてほしい。
今、地声始めて4週目に入ったんだけど、やっぱり“自分らしさ”をすごく感じることができている。まだ、この世の中でありのままで生きるって無理ゲーだぜって変わらず思ってるけど、これからもありのままでいるためにはどうしたらいいのかって方法は模索していきたいって思ってる。
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