剥がれる
感覚的な話。
いつも壁を作らないと生きていけない。
壁と書くと、そんな大げさなとか、一人ぼっちになってしまいそう、な印象を書いていても感じるけれど、壁はあくまで例えで、バリアでもいいし、膜でもいいし、囲いでもいい。材質はそのときの心境と状況次第で、鋼鉄のときもあれば、紙のときもあれば、ラップみたいに透明で薄い膜のときもある。
壁にはコーティングを施していて、それはすぐに劣化する。
だから、生活をしている中で緊張感を解いたり、ぼうっとしたり、気分を転換するようなことをしないといけない。そうすることでコーティングはまた復活して、私は私を保っていられる。
材質の問題ではなく、コーティングの問題。
どんなに強固な材質でも、世の中はそれを突き破ってくる。
安心していたら、穴が空いてそこから侵入してくる。
コーティングが剥げてしまわないように、私は気をつけていた。
剥がれる前に、また覆う作業を忘れないように心がけていた。
そうしないと無くなってしまうことを知っていたから。
けれど、剥げていることに気づかないほど日常に埋もれていた。
気づくとすっかり無くなっていて、世の中が私の中に侵入してきていた。
私は慌てふためき、理性を保つのが精一杯だった。
床に崩れ落ちた壁の材質、大きなものにも小さなものにもコーティングの影は見られない。すっかりとなくなっていた。私はそれを見て愕然とする。
そこまで剥がれるまで気づかないことが、あきらかにおかしなことだから。これまで経験したことがなかったから。気づかないほど埋もれていて、感覚を失っていたことに気付けなかったから。なにか自分の中の必要な性質が欠落していたことに気づいた。
そのことが起きてから、私は。