宗教について思うこと
今まで書いてきたような経験談からは逸れるのだが、宗教に勧誘された話を書いたこのタイミングに、私なりの宗教についての考えをざっと書いてみようと思う。
前提として、私はどの宗教も否定するつもりはない。
人にはそれぞれの考え方があるように、何を信じるのも信じないのもその人の自由だと思っているからだ。それが絶対的に正しく他を誤りだと決め付けたり、自分の思想を押し付けるというのは違うと思うが、私はいろいろな信仰があること自体は受け入れている。
よって、これから私が書くことは『私がそう考え信じているだけ』で、ありそれを踏まえて読んで頂ければと思う。
ただ私自身は神様(主に万物に神が宿るという所謂八百万の神々)の存在を信じているし、神社も信じているのでそれらを否定から入る方はこれ以上読まずにそっと戻られた方が無難かもしれない。
【宗教についての所感】
日本人に「あなたの宗教は?」と聞くと、無宗教と答える人が多いという記述をどこかで見たことがある。
実際に私の身の回りにもそんな人が多いし、それは実態としてある程度正解なのではと思う。何かを頑なに厚く信仰し、戒律や教義を守り毎日熱心に祈っているという人は比較的少数のように思っている。
ただ無宗教と言っても、神様の存在自体を信じていないという人は割と少ない方なのではないだろうか。
日本には神道というものがある。
これは宗教というより、日常生活を営む上での心構えであったり生き方のようなものだと私は思っている。
ちなみにWiki参照では神道は『神話、八百万の神、自然や自然現象等に基づくアニミズム(精霊信仰)的・祖霊崇拝的な民族宗教』と記載されているが、そう言われてもなかなかピンとは来ないだろう。
例えば『お天道様が見ている』という考え方があるが、他の人が見ていなくても太陽(神様や仏様、ご先祖様)が見ているから悪事は働くな、という思考は大半の人が根底で持っているのではないだろうか。
そのように意識せずともどこかでは神様や仏様、ご先祖様が見守っているという風に感じていて、それらの存在に対して恥ずかしくないように振る舞うことを心掛けたり、何となくでも神社へ参拝したり仏壇で拝んだり、墓参りに行くという人は多いように思う。
今の例は仏様まで一括りにしてしまったし、このような物の考え方や価値観を宗教で括ってしまうのは乱暴なようにも思うが、とにかくそういった存在は日本人の生活に深く根差していると言える。
当たり前に私達の傍に在って、あまりにも身近すぎるからこそわざわざその存在を意識していない。それが結果的に無宗教という回答に繋がってしまうだけで、大部分の人は自然と『神道』の道を歩んでいるとあくまで個人的にだが私は思っている。
【私の宗教観】
ではそんな私はどうなのかと言えば、小さい頃から神様や仏様、ご先祖様の存在を自然と信じていた。
勿論神社も大好きだった。神社が持つ独特の神聖な雰囲気に心惹かれてやまなかったし、神様の存在を一番身近に感じられるその場所が、最早理屈抜きで心の底から好きで仕方なかった。それは今も変わらない。
神道という言葉を知ってからは、あなたの宗教は何かと聞かれれば自信を持って神道と答えてきた(仏教も多少入っていることは否定しない)。
そういう意味では盲目的に信仰していると言えるのかもしれないが、実はそれは飽くまでも『神様の存在』自体の話に限定されていたりする。
存在は心から信じているものの、私は信じていれば必ず報われるとまでは思っていないからである。
私がそう思う理由としては、生きていれば誰しも困難や苦難を幾度も経験するものと思うが、信じて祈ってさえいればそれが解決したかと言えば決してそうではなかったからに他ならない。
ただ助けてくれないからと言って神様なんて存在しない、という結論に至るのは少し極端なのではないかと個人的に思っている。
言い方があまり良くないかもしれないが、『神様は見守っては下さるが積極的に手出しはしない存在』というのが私の見解だからだ。
【なぜそう考えているのか】
前回の記事でも少し触れた通り、私はその人の身に起こることすべてに何かしら意味があると考えるタイプである。輪廻転生的な思想も少し入るが、ざっくり言えば何度も生まれ変わりながらその時々の経験を通じて必要な学びを得ている、という考え方をしている。
そしてそういう前提がある為、その人の身に起こる困難や苦難は『その人が乗り越えられることや乗り越えなければならないこと、もしくはそこから学ぶべきことがあること』だという風に捉えている。
だからこそ神様はそういう状況でも積極的に干渉することはないし、自分のできる限りの頑張りや努力をすることが大切で、その経験から学ぶ方が良いと思っている訳である(そう思えるのは私がまだ本物の困難や苦難を知らないからかもしれないが……)。
ただ、それでもどうしても辛いことはある。
努力や根性だけではどうにもならない状況や、自分の力だけではどうしようもない壁や障害にぶつかることもある。叶えたくて仕方ないことがあるのに、どうしても成就に手が届かないことだってある。
神様というのは何でも叶えて下さる存在ではなく、そのような時に最後の一押しをして下さる存在だと私は認識している。神様にご挨拶できるだけでなく、その一押しをお願いする為に祈ることができる場所が神社なのだ。
少なくとも私はそう思っているし、実際に助けて頂いたこともあるからこそ私はその存在を厚く信じている。
私が宗教について思うこと、私なりの神という存在への考え方はこんな感じとなる。推考不足故にうまく伝えきれていない箇所もあると思うので、今後修正が入る可能性が高いがそこはお許し頂きたい。
勿論私の所感でしかないし、この考え方を押し付けるつもりはないので読み流して頂いて構わない。
神社の話まで掘り下げると長くなりすぎると思い断念したが、それはまた次の機会にしたいと思う。
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