【短編小説】No.10 明けの明星
旅人は怒らなかった。
嘆きもしない。迫害されようとも、友に裏切られようとも、略奪されたときでさえ怒らなかった。
なぜ怒らないのだと、小さな友が尋ねた。すると旅人は答えた。
「あなたは夜に怒るのか」
葉のついた茎を咥えながら旅人は言った。茎から滴るわずかな水を緩やかに吸っている。また、飢えていたのだ。
小さな友は、旅人の言葉を理解しなかった。しないまま、言葉を繋いだ。
「あなたはもっと怒るべきだ。いや、それだけでは足りない。やり返してもいい。やり返さなかったとしても、何とかしようとするべきだ。そのままではいけない」
小さな友は親切だった。本気で心配し、本気で嘆いていた。そしていつも、不安を抱えていた。
旅人は穏やかだった。歯形のついた茎を捨てると、ゆっくりと言った。
「人の長所が昼だとすれば、短所は夜だ。あなたは怒るのか。夜を、こじ開けるのか」
ゴロリと寝っ転がり、もう一言、言った。
「私は怒らない。こじ開けない。私は星を見る」
そして空を見上げた。つられて顔を上げると、満天の星が輝いていた。
闇が深いほどに輝く星をじっと眺めた。いつの間にか、小さな友も寝っ転がっていた。
旅人を説得するために、ここへ来た。けれども今は、共に夜を眺めているだけで十分な気がした。旅人は起きているのか眠っているのかすらわからないほどに静かだった。
ひとつ、またひとつと星が消える刹那が小さな友の胸を震わせた。懐に忍ばせたピストルを旅人に向ける。
「これでもあなたは怒らないのか」
旅人は一呼吸すらも乱さなかった。そしてほとんど眠ったままの姿でこう言った。
「私は恐れない。誰が許さずとも夜は巡るのだ」
最後の星が消えた。旅人は静かな眠りについた。行き場をなくしたピストルがコソコソと懐に帰り、眠る。
空が染まっていく。それはそれは美しい空だった。赤紫のグラデーションから零れ落ちる光に手を伸ばす。
「私の夜もまた巡るのか」
旅人や、このピストルを向けるべき者の夜と同じように。
赤紫のグラデーションが、小さな友の心を染めていく。夜明けだ。
待ち望んでいたはずの夜明けが寂しく感じるのは、きっと夜にしか咲かない星の輝きを、見つけてしまったからだろう。