見出し画像

イランは親日だったけどトルコはそうでもなかったその理由

ここ数日、「イランでは親日感情を感じたけど、トルコではそう感じなかった」という経験をした人が私以外にもいることを知った。ただこれは、トルコの親日感情が薄れたというよりも、情報へのアクセシビリティの違いが生み出したものだと思っている。

イランでは西側のSNSやプラットフォームが制限されているので、「おしん」のような親日感情を醸成する古き日本のコンテンツが影響力を保持している。一方、トルコでは情報へのアクセスが自由。欧米や韓国のドラマも人気で、好みが多様化した結果として日本への興味が薄れてしまった。特に韓国のドラマやKPOPは、東アジアというエリアカテゴリにおいても日本の存在を押しやりつつある。なのでさみしいと言えばさみしいけど、現実を正しく表しているとも思う。

ただし私が知り合ったトルコ人の子のように、まだまだ日本文化に興味を示す人もいる。彼女は私が知り合う以前から、漢字や絵画(富嶽百景)等を知っていた。私がトルコに対して感じているエキゾチズムを、向こうは向こうで感じているらしい。

これから先の社会では、より情報の多様化が進む。それは日本だろうとトルコだろうとイランだろうと同じこと。なので、「○○は親日国」という過度な期待や一般化はほどほどにして、多様化した世界でなお日本や日本文化に親しみを持ってくれる人を大切にしてあげて欲しいと思う。

いいなと思ったら応援しよう!