ポジティブ?ネガティブ?

時間が出来てしまったので
良く使われる言葉をお題にして。

ポジティブ
物事を肯定的に捉える
積極的
実証的

ネガティブ
物事を否定的に捉える
消極的

うーん。
正直この言葉って、曖昧ですよね。
陰陽に偏らせるだけの理由や過程、現実的な根拠がないと判断する材料って無いですし、
捉え方や見る視点で陰陽変わっちゃうので。

根拠がないのに「次はきっと」「あなたなら大丈夫」「運が悪かった」
そのかけた言葉がポジティブって、誰が判断するのでしょうか?

「発言した人の中では」なら理解出来ますが。
受け取る側はその人と同じ思考回路でしょうか?

「気を遣ってくれているんだな」というニュアンスで励ましになる人もいるでしょう。

でも、擦り切れる程努力をした人がそれを言われたら?
「これだけやって駄目なのに何が大丈夫なの?」
「今までの努力が運で片付けられるの?」

現実的な人であればある程喪失感を感じるかもしれません。



実際に見たやり取りで、ポジティブネガティブの使われ方に違和感があったものです。

SNSにおいて誰かが発信した言葉に対して来た反論の一部が、発信した本人にとっては(これ重要)実に否定的であったらしい。(私はそこまで否定的に感じなかった)

それに対して、
「ネガティブな発言をする人は来ないで下さい」

私個人の感想ですが
これではネガティブそのものではないかな、と。
相手の意見が一理あるかもと捉える事もせず、頭ごなしに自分の感想で相手をネガティブな人カテゴリーに入れて全否定したのですから。

でもまぁ
このような意見を持ったとしても、私はこの発言をした方を嫌いになったりはしません。
そう言いたい気持ちもわからなくはないからです。

もちろんこの自分の意見も、人によっては全然違うのでしょう。
割り切れない人もたくさんいるでしょうし。

正論であれ暴論であれ、それが個人であるということでしょうから。
それを諭すも嗤うも。個人の主義次第。

危害を加えられるなら、それに順ずる法律があるので。


自分以外は他人で、皆が自分から見れば変わり者で
それが全てです。
他人や他人の考え方を陰陽のどちらかにカテゴライズして避けたところで
何が生まれるんでしょうか?

結局生まれるのは名前が違うだけの
敵、味方という区分や偏見。

私的な結論ですが、ベクトルの違いを言葉として表すものであって、人の生き方や考え方の善悪をカテゴライズする言葉ではない。

という…

あれ?一回寝たら結局何言おうとしたか忘れましたねぇ…('ω')




「オレ達は今日あったばかりだ。あんた方はオレの敵じゃない。オレに敵なんかいない。」

ヴィンランド・サガ
トルフィンの言葉



「嫌い」は「敵」とは限らない。















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