無意味な話
「時間経つと好感度が戻ってる」
研究室のBくんに指摘を受けた、あのBくんね。「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、的確かも」
現実の人間にほとんど心を開けない。
開いたとしても、すぐに閉じる。
これが「好感度が戻る」と表現されたのだと思う。
〜〜〜
理由は「現実で会う人間は、自分のしたい話(主に趣味)が出来る相手でない」と思っているからだ。
まず前提として、自分は自己肯定感が強烈に低い。
あくまで、俺の提供する価値に興味があるのみで(これもごく少数だろうが)、俺という人間自体に興味があるはずなどないのだ。
否定が怖いと言い換えても良い。
そして、目の前の相手が俺の提供する価値に興味があるとすると、その価値を提供すること以外の行動は無駄だ。
文字にすると物々しいが、10分休みの暇を潰すために、くだらないソシャゲの話題を話す行動の無駄さったらない、と言えば少し共感してくれるだろうか。
こう書いてみると、何かのコンテンツに関するnoteしか書いていなかったのも自分で納得出来てくる。
〜〜〜
じゃあお前はどこで趣味の話をするんだ、と言われると、まぁまさにインターネット空間となる。
というかTwitterだな
Twitterなら、同じ趣味の人なんかいくらでも発見できるので、「自分が話をしたい(するべき)人」はいくらでも居る。
同じ目的の人達で、自然に集団が出来上がる。
こんなにも自然に目的の一致すら集団が出来るの感動するね〜〜
と言いつつ、ほとんど会話(リプライ)に参加しない。誕生日おめでとう系もほとんど言わん。
何故か?
…何故だろ?
誕生日リプに関しては、「される側に立つと、返信が作業と化して、会話に意味がなくなるから」という理由を自分の中で組み立てているが…
おおよその理由は「自分に話しかけていないから」が主だと思われる。価値の話に似ているな。
前に「自分に話しかけられていると思えないから、結果として無視になる」とツイートしたやつ
うむ、やはりTwitterでも「趣味の話」が出来る相手を作れない構造になっているな
じゃあ俺は、誰と「趣味の話」をするのだろうか
〜〜〜
多分、というか絶対そうなのだが、この世界って意味より無意味で構成されている方が正解な気がする。
意味による構成が多数だからこそ、感情論が大事だと最近思う。
無意味な会話で縁が出来て、そのうち意味を持つようになる。年齢が進むにつれて、関係に意味を求められることが多くなる。時間が経つにつれて、ますます無意味は減っていく。
誰か私に無意味な意味を求めてください。
〜〜〜
おまけ
卯月コウの活動年数が長くなるほど、無意味に(この人TLでよく見るな〜)という貴重で無意味な集団の固定化が進んでいます、ありがとうね
と言いつつ、この無意味さの集団に、集団を形作る卯月コウ自身が入れないという事実がなかなかにグロテスクなのではないかということも感じています。
なんかこんなこと言ってる雑談あった気がする
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