刹那からの卒業:樋口円香
・上澄
花火大会の依頼の話
樋口が業界に染まりつつある
求めるシャニPは評価を気にせず、暑苦しく進んでいて欲しい
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樋口がバラシって言葉が出てきてちょっと以外だった、確実に時は流れている。
今回のカード、選択肢できちんと結果が出る傾向にある
「俺も自信はなかったけど」は、シャニPが円香が頑張っているのにそんなこと言わない方が良かったと反省して終わる
「そればかりは悪い…」は、少しの運を最大限に引き出したい…というのは傲慢では?という指摘で終わる。
そしておそらく正解の「夏は貴重だ」では、「この季節を無駄にしたくない」。暑苦しさを感じながらも、それを受けて、樋口はアイドルというか芸能人的?に慣れたようにレッスンに向かう。
そしてシャニPは、花火大会を見て懐古心をくすぐられる。
シャニPに他人の評価基準を気にせずに暑苦しくいてほしい、大人的価値感とは離れて欲しいという期待が樋口にはある。
・瀝青観測
リハーサル
シャニPは相変わらず言葉を飾り、樋口はそれに本心?を応える
しかし、外は等身大的な刹那だけを求める。
彼女こそ、将来にもっとも近い今に生きているのに
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「スタッフが的確に指示してくださったおかげです」
いつものように、自分の手柄とはしない樋口に
「周りを見る余裕が出てきたんじゃ無いか?」
その方向を当事者に修正して褒めるシャニP
そこに委員の方が
「精一杯務めさせて頂きます」と、樋口は防御態勢(?)に入るが
「そんな堅いモンじゃない」と委員の方は言う
それどころか「こなれてる子よりも、擦れてなさそうな子」を求めていた、とのこと。「大人にはない、誰もが通る 青さを持ってて」
青さは青さだけなのか
シャニPはこの「刹那的消費」にムッとする。
(以降の選択肢は言い返し度順)
「…」
言葉を尽くすよりも、聞いて貰うことを選び、何も言わない。
ここのボーっとしているシャニPを呼びかけるの好き
「きっと響きます」
若い世代だけじゃなく、あなたにも魅力が伝わるはずです、と言う。
「仰る通りです」
「ぜひその目で感じて頂けたら」と、フルスイング
これにはおもわず「挑戦的だね~」と言われる
「…未熟ながら…青いうちは柔軟さもあるので」
と、この雰囲気に樋口も渋々乗る
ここの描写、天檻の透を意識していそうな気がする
オーナー:浅倉透:何か面白い人
委員:樋口円香:擦れてなさそうな子
浅倉透は、自分はステージに立てる等身大ではないと、樋口円香を立たせた。一方、今回の樋口円香はそのまま立つことが出来る。問題はそれを本人が受け入れるかだ
・宙へ還る
明日はアレに勝たなくてはいけないのだ
今を永遠にするために
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今、宇宙へ浮かんでいく
刹那的な消費を離れ、身一つで宇宙の果てへと進まなくてはいけないのだ
1日目はMCのみだった。メインディッシュ(花火)の添え物で、誰でも出来る仕事だ(と樋口は思っている)
だが、2日目はライブがある。
「あの花のように」輝かなくてはならないのだ。
一度、大敗を喫したアイツに
部屋から花火が大きく見える。
もしかしたら、委員の心遣いか
いや、委員が円香を「お客さん」として楽しんで欲しいと思ったからか
「いつも通りやればいい(そのままで匹敵する輝きを得る)」とシャニP
花火が大きく上がる、クライマックスを彩るかのように。
この「客室」を手放す時はもうすぐそこに来ている
でもそれは、樋口円香が刹那的だからではない
本来花火は刹那的消費ではなく、先祖を送る「送り火」という伝統だ。
樋口円香の刹那からの卒業が近づく。
・火毯
今に到達し、刹那を失う
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え?!
ライブ後からですか?!?!
ライブ後、どこかへ行ったシャニPを探しに屋台の方へ
みんな浮かれているが自分だけはどこか冷静だ
浮いている奴が居ました、シャニPです
お面まで被っている
「きっと届いたと思う」
「刹那を超えて、円香の歌が」
今を超えて
ライブを終えた樋口円香は、今を超えて、刹那を失って永遠となった。
そう刹那を失ったのだ。
シャニPはその子供っぽいお面をまだ手放そうとしない
「大人になって通り過ぎても、あの欲しかった気持ちずっと残っていたりするよな」
「その面をつけたあなたは」
たった今、樋口円香が失った刹那的な何かを、一時的に取り戻して喜んでいる。
そんなもの、似合わない。
許せない。
・定義する、今
人生のエンタメ(装飾なしの等身大)提供は違う
無難でいないと、自分の正体を明かすことになる
アイドルは「今」の消費か
もしそうなら、「今」の暑さが消えて、急速に冷めていく
あとがき
キン・コンって、学校のチャイムですよね多分
終わりを表しているのか、始まりを表しているのか
「さよなら、透明だった僕たち」
↑ いつみても完璧すぎる
余談なんですが、今日リビングに流れていたテレビで、ジャニーズがディズニーのパレードを見ていることを「いつもステージに立っている彼らが観客側に立って楽しんでいる姿」というウリ文句にしていました
彼らもたまには観客側に立ちたいと思うのでしょうか
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