【シャニマス】そのステージは、浅倉透による樋口円香への最大の称賛【天檻】
浅倉透と樋口円香について精一杯書きました。
天檻ってタイトルに書いたけど、言ってしまうと天檻の6話とそれが好きな理由を書きまくっただけです。
○浅倉透のただの友人(note:浅倉透の特別性とその損失)
・浅倉透の孤独
浅倉透はよく憧れの目で見られる。Wingの初期から業界にすんなりとなじみ、「学校と変わらない」と言っていた。
その孤独性は、幼馴染の中でも例外ではない。
ハウ・アー・UFOでは、目が焼ける何かを期待し、写真に収めようとしていた。幼馴染たちはUFOの存在を否定こそしなかったが、雛菜でさえ呆れた様子だった。その夜空に期待するのは浅倉透だけだった。
「人生って、長いな〜」 Wingでそうもこぼしていた。
・浅倉透は一般人
浅倉透は孤独だ。極論を言ってしまえば、黙ってそこにいるだけで”それ”っぽい
そんな憧れの目ばかりの息苦しさを解消しようとするのが、樋口円香だ。
天塵では「透にできることで、私に出来ないことはない」と言っていた。
浅倉透はなんてことない一般人だと、特別感と孤独さを書き消そうとした。
・私だけは対等だ
UNTITLEDでは、スタッフやカメラマン、さらには小糸も雛菜も、”浅倉透”に見惚れていた。その憧れの目を向けられる姿は、正しい浅倉透の姿ではない。特に考えて来ていない。意外に歌詞を間違える。浅倉透はそういう人間なのだ。
◯樋口円香:自身の認める特別性
・対等性 (note:「はい、普通に美味しい焼き芋ですね。」)
Pは「感謝祭が大成功」であるお返しとして焼き芋を円香に差し入れる。
焼き芋の感想は「焼き芋の味がする」
事実しか伝えない。なぜなら言葉や気持ちで返す(返せる)気がないから。
そのため、取引として焼き芋分の代金を払おうとする。
樋口円香は、感謝祭が成功したのは歌詞や曲の力であって、自分(の歌声)が要因だと思えない。もっと誇張するなら「一般人が歌っただけなのに差し入れされるのはおかしい」とまで思っている。自分が特別な訳が無い。
樋口円香は、自分への不信から、気持ちとかいう定性的なものでなく、お金などの定量的な対等関係のみを築きたいと思っている。
・不信:自分の特別への納得(note:二人が「美味しい」と言い合うには)
個人ライブ、カラオケと何が違うかわからないと言う円香
自身が特別であるという"妄想"は都合が良すぎる。
でも「円香の歌を聞きたい人」がいると、目の前の男性は伝えてくる。
Pは円香にいつでも暑苦しい感覚がある。
言葉を借りるなら「オールドタイプ」
「世間に私の価値を知らしめたいから、ですよね?」
「円香を自由にしたかった」
らしくない演説
「嫌というほど伝わってくる」
あの真人間も、明らかに私に期待をしている。どこにいっても期待ばかり、逃げ出す円香
「あなたを掴むなら溺れて死ぬ」
「勝手に助ける」
完璧な解答、Pは期待はしないとそう言ってくれた。
樋口円香は、衝動に任せて歌う。
それに期待せずにいて欲しい。
そうして、ただ単について来てくれる人に届ける。
◯浅倉透:人生を短くする
・息、切らしたい
自然体で呼吸してるだけで表面的に評価されて、頑張りたいのにわかってくれないことにモヤモヤしていた。
予選で勝ったら頑張ったことになる、何かが明確に見つかる、なんてことはなくどこかモヤモヤのままで命を自覚できない。
これまで一度も息切らしてる描写のなかった浅倉透が、100周を"頑張る"の指標にして息切らして走っていた。
「大丈夫だ って言ってよ」
何かにすがりつきたい。そういう標を浅倉透は求めていた。
100周を走って命を見つける。息してるだけで命だ。
わかって貰えなくてもいい。
そうやって命のひとつになって、いつか誰かが食べてくれたら。
・世界の広さを知る
自分は変わらないのに、周りの扱いが勝手に変わっていく
自由なところ(映画館)に逃げたい。でも、そこにも周りの目がある。
もっと広く自由な餌場が欲しくなる。でも、自由は残したい。
「しがらみのある約束事の先に、驚きがあるかもしれない」
Pはそう言ってくれた。
そういう大きい存在が、映画館という透の自由を奪う。選択権はほとんどなかったのかもしれない。
"捕食者"から住処を奪い、そして与える。
そういうよりデカい存在が世界にはいるのだ。
もっと広い世界に行き、いろんなモノを食べて、新しい餌場へ
◯天檻
・オーナーと浅倉透
浅倉透がオーナーからオファーされたのは、浅倉透だからではなく”何か面白い人”だからだ。浅倉透が未成年かすら知らなかった。
「つまんないの」「大体ね、わかっちゃうの。」
人生を退屈そうに消費しているオーナーは、「人生って、長いな〜」と言っていた浅倉透のようにも見える。
そういう人間に驚きを与えるのは、50年寝かせたワインを開ける瞬間。
50年の月日で やっと、”人生が退屈な人”にも響く、驚きを与える。
50年の月日で、ワインはやっと外の空気に到着する。
今が、どっかの将来へとたどり着く。
オーナーは、ワインを開ける瞬間は好きだが、開け時については特に知らない。50年という定量的な未知を知るのが好きなだけで、それ以上を望んでいない。本当にワインに目がないならば味、種類、製法などにも詳しいはずだ。オーナーはワインの価値を、世界を狭くしすぎた。
ここで心は決まったのだと思う。
既知の“何か面白い人”として歌うことを拒否する。流行り物として、表面しか見られていない。
こんなのじゃ、オーナーの退屈しのぎにしかならない。
オーナーは”浅倉透”を見れていないし、あのステージは、本当は”浅倉透”には見合わない。本当なら”浅倉透”があの場所に立つことは出来ないんじゃないかと思った。
オーナー、いやお坊ちゃんは本当の世界の広さを認識できていない。
本当の世界は、もっと広いのだ。
浅倉透は、世界の広さを既に知っている。
「あのさ」
伝えようとする言葉は”既知”だ、世界の広さを伝えることはできない。
「じゃ、50年後に」
オーナーの血肉になるような、ホンモノと衝撃を与えられる人間が、あのステージに立つべきなのだ。
今の透はまだ、あの場所に立てる将来ではない。
・ひぐちだよ
浅倉透は、オーナーにホンモノと衝撃を伝えるため、あのステージに樋口円香を選択する。
・樋口円香の特別性(original)
一般人樋口円香は、浅倉透が孤独にならないように、アイドルではなく一般人だと否定して、対等に接することを選ぼうとした。誤認されている、悪く言えば過大評価の”浅倉透”の横になんとしてでも一般人として居続けた。
でも、「お前は特別だ」とプロデューサーと世界中が訴えかけた。誤認しつづけたのは、樋口円香という人間による樋口円香自身の評価だ。
その疑り深い人間が「自分は特別だ」と自分をやっと認めることが出来た。
いや、未だに「ほんとなんてものがあるのかだって知らない」と疑いを捨てきれていない。そんな"幼馴染"を知ってるからこそ、"今"が"将来"に、最も近い等身大の人間としてステージにあげることができる。
・対等/等価性
浅倉透がアイドルになっても、樋口円香だけが”浅倉透”を対等に見ていた。
逆もまた然り。浅倉透も樋口円香を対等に見ていた。
浅倉透が樋口円香に払う出演料は大金ではない。
でも「幼馴染だからいいじゃん」なんて、ふわふわした理由では樋口円香は納得しなかっただろう。浅倉透はそれを知っている。
ただ幼馴染に歌ってもらうだけ、だけど金銭は発生する 67円。
樋口円香も当然了承する。
樋口円香は「幼馴染」なんていう不定形で定性的なものでなく、対等性を好んでいるのだから。
・まどか
浅倉透が樋口円香を対等な立場(幼馴染)として、自分に不相応なステージに立たせたことは、「樋口円香は過大評価なんかじゃない、あのステージに立てる実力、特別がある人間だ」と そう言っているように聞こえた。
この事実が息を切らしてどこかへ向かう浅倉透に、幼馴染として等身大で隣に居続けた樋口円香に対して「よく走った」と、暖かく迎える称賛のように感じた。
「透にできることで、私に出来ないことはない」
天塵では正直「私も浅倉も、一般人の幼馴染で居続けるんだ」という叫びにも聞こえた。
でも両方が、互いと自身が特別(アイドル)となった今であれば、頼もしさすら感じられる。
○あとがき
天檻の感想がこれ
だったので、書きました。
noteを書くにあたって6話を何回も見ているけど、毎回ドキドキしてしまう。
樋口円香のアイドルへの捻くれた目線(?)がシャニマスを始めたきっかけの一つだったりするので、この捻くれた感じのまま、アイドルという特別をきちんと受け取って、その特別を浅倉透に認められた(と解釈できた)というのが嬉しすぎてこの長文になってしまいました。
樋口円香 今後もしあわせになってくれ~
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