こわす羨望、もちあげる羨望

頑張ったご褒美におねえさんに買ってもらったグミを、いそいそと皿に空ける。一口で食べてしまうのがもったいないから、ちんまりと齧る。なかからじわっとリンゴの味が広がって、口の中が満たされる。思わず言ってしまう、「おいしい」。いつも食べているグミとは一味違う。その感じを伝えたくて、饒舌になる。おねえさんが嬉しそうに笑っている。

そういうときに、不意に横槍が入る。
いいな〜。○○ちゃんいいなあ、いいなあ〜〜。
さっき食べたばかりのアイスで口の周りをドロドロにしたままで、うらめしそうに宣う。


おねえさんとしてその場に居合わせたわたしは、ムッとする。どうしようもなく、ムッとしてしまうのだ。

「いいなあ〜」は、羨望感が漏れ出した声だ。思うに、羨望には2種類ある。対象の幸福感をこわす羨望と、もちあげる羨望だ。

こわす羨望は、水を差す。
舞い上がっている人に不都合な現実を見せたり、幸せの源泉を絶ったり、その喜びが不当な手段によって手に入れられたものだと主張したりする。そこには悪意が伴っている。必ずしも相手を傷つけようという悪意ではないかもしれない。しかし、自分の手中にはないものを他者が持っているという事実へのどうしようもない苛立ちとか、悲しさとか、戸惑いとか、そういうものを持て余した結果、コントロールのきかない感情をそのまま相手に向けたという悪意である。

幸福感に包まれていた相手は、突然突きつけられた激しい感情に圧倒され、不快感を露わにするだろう。せっかくの気分が台無しだ、と。お前にとやかく言われる筋合いはない、こっち見んな、と。あるいはイイダロ羨ましいだろと余計にひけらかしたくなるかもしれない。いずれにしても世界を満たしていたはずの幸福感はあっというまに霧散していて、残されたのは互いにムシャクシャとした気分だけだ。羨望は、さっきまであった感情をこわして去っていく。

もちあげる羨望は、記憶を蘇らせる。
大切にされないままに忘れ去られてしまった幸せな感覚を思い出させる。こわす羨望によって足早に撤退してしまった先刻の嬉しい気持ちを再生させる。元気だしなよ、あの時みたいにまたいいことあるよって、励ますように使う。あるいは幸せの頂点にいる人に贈って、その喜びをあと何分か持続させる。内心では「いい気なもんだな」なんて思っていることもあるけれど、そうだとしてもそんなそぶりは見せずに、相手を傷つけないように慎重に選んだ言葉をかける。
傷つけることはないかもしれないが、悪意がないとは言い切れない。羨望という道具を使って、別の意図を達成しようとするのは悪意といえないか。

他者に羨望を抱かずに済むならば、それがいちばんいい。こわしももちあげもせず、放っておいてあげられるならば楽だ。だけれどどうしようもなく、それはわたしを襲ってくる。平然とかわせたならば軽々ともちあげて差し上げられるし、そんな余裕をもてなければめちゃくちゃにこわしてしまうだろう。
漏れ出した羨望感は、心のコップのバロメーターだ。


いいな、いいな。イチゴのアイスおいしそうだったな。わたしも食べたかったなあ。こんな暑い日にはやっぱりアイスだよねえ。
ムッとしたついでに羨望感を乱射したわたしは、ほんの少し大人げなかっただろうか。

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