見出し画像

最後の夜に

最後の夜だ。
とくに何事もなければ、ここらで借りぐらし生活に一旦の終止符を打つ。

仕事場とコンビニでご飯を済ませ、どれだけ残業しても数十歩歩けばどこでもドアで誰もいない部屋に帰ってこられる。noteの連続投稿日数の更新のことが常に頭の一角を占めていて、うっかり夜更かししちゃう。遮光性の高いカーテンは、時々朝日を迎え忘れる。手持ちの服が少なすぎて、洗濯における計画性を求められるけれど、何を着るかで悩む時間からわたしを解放してくれる。
帰ってきてからの定位置は椅子の上。姿勢はあんまりよくないけれど、椅子の上で小さくなってPCのキーボードを叩く。そうしている時間が、この生活でとても長い。ここがわたしの拠りどころだ。

借りぐらしの歪な日常は、わたしに束の間の安心を与えてくれた。
電車もバスも使わない、どこにも遠出しない、安心設計の徒歩圏内完結型生活を実現してくれた。だって、わたしが動くことで常に周囲を感染リスクに晒してしまうって恐ろしいことだ。そういうことを考えなくてすむ日々だった。

でも一方で、その歪さはわたしをじわじわと蝕んでいたかもしれない。あたりまえにそこにあった日常が手の届かないものになって、これまでつかっていた感情の筋肉の一部が硬くなって、思わぬところで足場を踏み外してしまうような。もっとうまい適応の仕方もあったのかもしれないけれど、わたしはわりとうまくやれていると思っていた。でももしかしたら、そうじゃなかったかもしれない。

最後の1週間は、「早く帰りたいな」という気持ちがふとしたときに漏れ出していた。それまでにも胸の中にきっとあっただろうその気持ちは、「これが今のベストだ」と現状の策を肯定する気持ちに押しやられて、奥の方でじっとしていた。それがようやく顕在化したのがこの1週間だった。

自分が100%現状に満足しているわけではないという気づきは、わたしを揺るがせる。だって、「これでいい、これがいい」と思って選んだ道なのだ。それが「もしかするとほんのちょっと、違ったかもしれない」という疑念をかけられるなど、プライドが傷つく。過去のわたしが否定されるような、苦い体験だ。
それに薄々感づきながら、わたしは「早く帰りたいな」と素直に口にしてみた。

日常に戻ったら、また長時間の電車通勤だよ。
どこでもドアのごとき超時短通勤の魅力に勝るものはあるまい。
生活と地続きに仕事場を感じられるって、素敵じゃないか。

耳元で傷ついたわたしが囁く。
それら一つひとつに同意する。だけれども、わたしはそれらのために自分の身を削っているかもしれないことにも気づいている。

緊急事態が解除された今もなお、世の中は非日常の真っ最中だ。
わたしもあなたも、目には見えないストレスに晒され続けている。
予断を許さない状況だけれど、今はほんのひととき息をついて、よく頑張ったよねと言ってみよう。後悔も恥ずかしさももどかしさもあるかもしれないけれど、それでもわたしはよくやったと。

明日から、また胸を張って歩いていくために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?