彼らは、屈折したからこそ輝いてる
いつまでも布団にくるまっていたい昼前の休日。かろうじて引き開けたカーテンの隙間から差し込む暖かな光を感じながら目を擦る。ぼんやり眺めていたハフポストの記事で、女神のような一言に出会った。
写真家・ヨシダナギがインタビューで語った、ドラァグクイーンを撮る理由だった。
ブリリアントカットと呼ばれるダイヤモンドのカット方式があります。58面体にもなる細かなカットが特徴で、ダイヤを一番美しく輝かせるといわれています。ドラァグクイーンと出会って、このことを思い出しました。
屈折を繰り返して、光を反射した数だけ、美しい光を放つ。
彼らは、屈折したからこそ輝いてる。屈折の数は人の魅力に繋がる。屈折って無駄じゃない。人間はこんなに強く美しくなれるんだな、と思ったんです。
なんだ、それ。めちゃくちゃかっこいい。
この人は、たったこれだけの言葉で人間の葛藤を受け入れている。たぶん、己の過去の苦しみも。
仮に神様というものが存在したとして、神様は人間を平等には作ってくれなかった。社会は不平等と理不尽の極みだ。誰かが自身の持たざる現実に悔し涙を流している傍を、自身の持てる現実に気づきもせず感謝もせず、持たざる者の苦悩も知らず颯爽と駆け抜けられる別の誰かがいる。なんで自分ばっかり!と叫びたくなるような人生がある。大きな挫折を味わうまでもなく、自分の努力とひたむきさだけで成功を手に入れられたと錯覚できるような人生もある。
神様には見捨てられたかもしれない。
でも、ダイヤモンドの輝きを神様は作れない。不平等と理不尽の極みに揉みくちゃにされてもなお、歩みを止めないその強さが人間を美しくする。
神様には到達できない、血の滲むような美しさだ。わたしはその美しい輝きにとても惹かれる。
同時に思い出した小説がある。わたしの大好きな辻村深月の、『ぼくのメジャースプーン』だ。
手元にないので正確な表現は覚えていないのだけれど、大きな恐怖と悲しみをその小さな体で経験した幼馴染の「ふみちゃん」について、主人公の「ぼく」が評した言葉がある。無邪気で平和な「丸」ではいられなかったけれど、それでも「四角形」としてなんとか落ち着いた形を保っている。前を向いてちゃんと、今生きている。
そんなふうに記されていた気がする。
日常生活に支障をきたすような屈折も、それを抱えてなお生き続けるふみちゃんとぼくを美しくする。社会の不平等と理不尽を黙認する気はさらさらないけれど、そこで生きる人間の美しさに救いを感じる。
戦っても逃げてもいい。勝っても負けてもいい。あなたが人生のある時点でどうしようもなく何かを背負わされたということ、そしてあなたが今生きているということ、それらがあなたの美しさの証左だ。
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