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#45 性暴力と自己|思考の練習帖

昨日のつぶやきの補足的に。

性暴力による心身への影響の三類型の詳細をここにまとめておきたい。それというのも、わたしが仕事場で出会う子どもたちの多くに当てはまることだからだ。彼らのすべてが性暴力被害の当事者というわけではないが、虐待やネグレクトによっても、これと近いダメージを受けていると感じる。

性暴力による心身への影響

① 自己への影響

『自己への影響』は、当事者が自身の尊厳や主体性を奪われることで自己イメージが侵害され、そこに被害に対する自責感が加わることで、自分の価値を貶め、結果として自尊心が低下することを示します。
齋藤梓・大竹裕子『性暴力被害の実際−被害はどのように起き、どう回復するのか』

性暴力被害は、自己イメージを壊してしまう。いままで生きてきた「わたし」がわからなくなって、「自分は汚れてしまった」「他の人とはちがう」「自分に価値が感じられない」という感覚を強める。
そして、「自分が悪かったんだ」と思い込まされていく。だから自分に対して嫌悪感すら抱いてしまう。

自分を受け入れられないって、とてもつらい。自分を降りることはできないから。

② 心と体への影響

『心と体への影響』は、被害後に心と身体に現れるさまざまな不調を著しています。これらの不調は当事者が生活を送るうえで大きな障害となっていました。また、この不調のコントロールは困難になることが多く、自分に対する無力感を高め、結果として『自己への影響』にも関連していました。
同上

意識が飛ぶ。今ここにいるという感覚が欠如する(離人感)。死にたい気持ちが続く。体と心に不調が現れる。突然、被害の記憶とそのときの感情がよみがえる(フラッシュバック)。恐怖を感じる。自分自身のコントロールがきかない。…
心と体がバラバラになってしまうのだ。

あるいは、それぞれ独立して均衡を保っていた心と体が混ざり合って〈こらだ〉になってしまう。これは東畑開人『居るのはつらいよ』に書いてあったことだ。

 調子が悪くなって、「おかしな」状態になるとき、心と体の境界線は焼け落ちる。そのとき、心と体は「こらだ」になってしまう。(中略)僕らもそうだ。恋をするとき、心だけが恋をするのではなく、心臓がバクバクとするみたいに、僕らは全身で恋をする。
 そう、火種が燃え広がり、薄皮が焼け落ちてしまうと、こらだが現れる。

こらだは不便だ。こらだが現れるとき、自分で自分をコントロールできなくなってしまうからだ。こらだは暴走する。尿意を極限まで我慢しているときのように、僕らは自分のことが自分じゃなくなってしまったと感じる。こらだに振り回されてしまう。
東畑開人『居るのはつらいよ』

〈こらだ〉に振り回され続ける日々は、とても落ち着けやしない。すっかり消耗して、何にも手をつけられない状況だ。それが、性暴力がもたらすものなのだ。性暴力は日常を奪い去る。

③ 人生への影響

そして『自己への影響』『心と体への影響』は、『人生への影響』にもつながっていました。当事者は自己イメージの変化から、周囲と自分との間に越えられない壁を感じ、孤立していました。また、心身の不調により、未来への選択肢が制限されるなどの影響が生じていました。以上により、性暴力被害は「自己」という人としての根本を変え、心身にさまざまな不調をきたすきっかけとなり、その結果当事者の人生に深刻な影響を及ぼすことが明らかになりました。
齋藤梓・大竹裕子『性暴力被害の実際−被害はどのように起き、どう回復するのか』

性暴力は、「わたし」と周囲との間に大きな隔たりをつくる。性的関係への忌避感や、不信感や恐怖心は、他者と親密な関係を築けなくさせる。

そして、コントロール不能な心身の不調や、対人恐怖は、進学や就労などの未来の選択肢を狭めてしまう。それがなければ当たり前にできていたかもしれないことが、手からすり抜けていってしまうのだ。それは、人生を大きく変える。


なんでこの子はこれができないんだろう?
なんでこの子はこんなふうになっているんだろう?
それを理解する糸口がここにある。

今日は、ここまで。


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