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#30 「違う」わたし|思考の練習帖

ダイバーシティ・インクルージョンの推進が困難を極めるのはなぜか。
考え方が古くて凝り固まっている人たちが多いからだろう、と単純に考えてきたけれど、もう少し複雑な理由があるようだ。

今日の #思考の練習帖 も『世界標準の経営理論』から。
第20章「認知バイアスの理論」。

これまでの記事はコチラからどうぞ👇

二種類のダイバーシティ

ダイバーシティには大きく二種類があるらしい。
タスク型の多様性」と「デモグラフィー型の多様性」である。

まず、タスク型の人材多様性(task diversity)とは、知見・能力・経験・価値観などについて、多様な人材が組織に集まることだ。これらの要素は、外見に現れにくい。一方、デモグラフィー型の多様性(demographic diversity)とは、性別・国籍・年齢などの側面で、組織の人材が多様化することだ。こちらは目に見えやすい属性である。

二種類の多様性が同時に見られることもあるし、一方だけのこともあるだろう。女たちが男並みの働き方をしなければ出世できない組織は、デモグラフィー型の多様性を担保したとしても、タスク型の多様性はない。なぜなら、管理職の座を占めているのは性別こそ違えど、似たり寄ったりな経験や能力を共有している画一的な人々だからである。

さて、これまでの経営学の研究によると、二種類の多様性が組織パフォーマンスに与える影響は異なるようだ。

《結論1》タスク型の多様性は組織にプラスの影響を及ぼす。
《結論2》デモグラフィー型の多様性は組織にプラスの影響を及ぼさない。それどころか、場合によってはマイナスの影響を及ぼすこともある。

これはたしかに、よく考えてみると思い当たるところがある。
三人寄れば文殊の知恵というように、異なる立場や視点をもつ人たちが集まることで一人のときよりも視野が格段に広がるし、そのほうがよい意思決定ができるのは当然のことだ(意見がまとまればの話だけれど)。
そして、性別や国籍、年齢のようなぱっと見ですぐにカテゴライズできてしまうような属性は人々を容易に分断する。自分と近しい人と親密になり、異質な存在を敬遠する。ほんの小さな子どもですら、そういう差異を敏感に察知してしまう。

これは、ダイバーシティが害悪だという主張ではない。まさにここに、ダイバーシティ・インクルージョンを推進することの難しさがあるのだと思う。

デモグラフィーの差異に引きずられないために

デモグラフィーというのは、人口学のことだそうだ。性別とか国籍とか年齢というものは、人間をまとまりとして把握する上ではとても便利な区分だ。おおまかに物事を理解する上で必要な視点だ。それは、事実。

しかし、目の前の人間を前にしたときに、「あなたは女だから」とか「◯◯人だから」とか「年寄りだから」という言葉を投げつけるのは野暮だ。なにより、本人の努力ではどうにもならないことで、その人を判断するのは差別的だ。女とか男とか、血とか年とかは、記号だ。ごくごく表面的な、それ自体が本来ほとんど何の意味ももたないような事柄なのだ。それを意味ありげに解釈してしまいたくなるのが問題だ。

じゃあこれをどうしたらいいのか、という切実な問いへの世界標準の答えはまだないようだ。
わたしなりの答えは、タスク型の多様性に目を向けるということだろうか。
差異のネガティブな側面ばかりが目についてしまうと、ダイバーシティ・インクルージョンからはどんどん遠のいてしまう。だから、ポジティブな側面をどんどん評価しよう(単純だけど)。
わたしの持っていないあなたのその経験からは、どんなことが言える?
あなたのその価値観はわたしにはなかったものだけれど、どんな経験がそれを導いたの?
コミュニケーションを丁寧に重ねて、差異の根源を探るのだ。

今日はここまで。

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