#41 責任とわたし|思考の練習帖
前回のnoteで、信田さよ子・上間陽子の『言葉を失ったあとで』で書かれていた中立性について考えた。
今回の #思考の練習帖 のテーマは、加害者の責任。
わけのわからなさの射程を小さくする
暴力の加害者が負うべき責任には、①説明責任、②謝罪・賠償責任、そして③再発防止責任の三つがあるという。
「皆様に不快な思いをさせてしまったことをお詫び申し上げます」と謝られてどうにもすっきりしないのは、説明責任が果たされていないからだ。信田さんはこう述べている。
これは、被害者にしてみれば自分の被害の意味を知るということだ。説明をされたって傷ついた事実は消えない。しかし、「なぜこんなことが自分に起きてしまったんだろう」という「わけのわからなさの射程がグッとちっちゃくなる(上間さん)」ことは、被害者が回復していくために必要なプロセスなのだ。
傷つきを乗り越えていくために
家族から離れて施設で生活する子どもたちのケアの現場にいるわたしにも、同じような実感がある。
子どもたちにはそれぞれ入所に至った理由があり、それは必ずしも直接的な暴力を伴うわけではないものの、彼らはさまざまな傷つきを抱えている。その意味では、彼らは暴力の被害者であるといえそうだ。なぜ自分がこんな目に遭わなくてはいけなかったのか、自分の家族が今何を抱えているのか、なぜここにいるのか、彼らのそういう問いにわたしたちはきちんと答えていかなくてはいけない。
そうやって、彼らの「わけのわからなさの射程」を小さくしていって、彼らが自分自身で人生のハンドルを握れるようにサポートしていくのだ。
以前、こんな記事を書いた。
運転席に座ってハンドルを握るのは子どもたち自身で、わたしはそれを横取りしてはいけないのだ、あくまでも助手席に同乗しているだけの立場なのだと書いた。
だから、彼らをいちばん近くの特等席から支えるのはケアワーカーとしてのわたしの仕事。だけど、本来この説明責任を果たすべきは、彼らの入所理由をつくった張本人であるべきじゃないだろうか。
それが仮に親だとするならば、親のその口から入所に至った経緯を説明し(①説明責任)、子どもを傷つけてしまったことを認めて謝罪してこそ(②謝罪・賠償責任)、子どもは「あなたは悪くないんだよ」のメッセージを受け取ることができる。それが、これからの親子関係のリカバリーをしていく(③再発防止責任)ための土壌になるのだろう。
この一連のプロセスを経ることで、ようやく子どもたちは傷つきを乗り越えて生きていけるのではないか。そうだとしたら、そこまではたらきかけてやり切ることが、わたしの仕事なのだ。
今日はここまで。
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