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手の甲が語る

二度あることは三度あるという。

かざした左手の中心に、1か月前に棚の角でガリッとやったときの跡が残っている。皮の下から血がドクドクと出てきて、慌てて絆創膏を買いに走った。その傷の癒えぬうちに、すぐ下に同じくガリッとやった。いくらか傷口が浅かったようで、今はほとんど跡もない。
借りぐらしを始めた初日のことだ。新しい環境にちょっぴりワクワクしながらも、ふわふわと落ち着かない気持ちがあったのかもしれない。

で、今日。
緊急事態解除宣言の発令の少し前。仕事場で久々にまたガリッとやってしまった。今度は右手の、同じ場所。あっと思ったときにはあとの祭りで、皮がほんの少し剥けただけかもしれないという淡い期待を裏切るように、一拍ののちに盛り上がる血にがっかりする。

絆創膏は縦に貼る。
ちょうど指の付け根のあたりだから、横にぐるっと巻けないのは経験済み。潔く縦貼りするのがよいのである。

傷だらけの両手を広げて何気なく眺めていると、すっかり見慣れてしまって忘れ去られていた一つの傷跡を思い出した。左手の中心に並ぶ2点の傷の、さらに下。かつて何度もかさぶたをめくった、ちょっぴりボコボコして見える場所がある。当時は一生傷だなんて思っていたけれど、20年近い年月を経てかなり薄くなってきている。人間の体ってすごい。細胞は分裂し続け、体は変化し続ける。

11歳か12歳の誕生日の朝だった。
朝家を出て、友だちを迎えにいく。今日は誕生日。誕生日というのはなんだか胸がふわふわと軽くなって、何もかもが特別に感じる魔法だ。小走りで団地に入る。階段を1段飛ばしで駆け上がる。団地の壁は白くて、なぜだかペンキに石を混ぜたのかと思うようなゴロゴロした壁をしている。そこを、ズサーッとやった。駆け上がる勢いと相まって、一瞬のガリッではすまなかった。
わたしの左手の甲は、気がついたら血まみれになっていた。

誕生日なのに。
わたしをふわふわにしていた魔法が一気に解けて、すーっと冷静さが体に戻ってくるのを感じた。止血しなくちゃ。ポケットティッシュで傷口を押さえる。ドクドクと脈が波打つのを感じる。血の勢いが止まらない。ありったけのティッシュを投入した。

階段の途中で急に失速したわたしは、それでもいつものようにピンポンを鳴らす。友だちのお母さんが顔を出し、玄関に迎え入れてくれる。おはよう以外に何か言ったかもしれない。わけを話して追加のティッシュをもらったかもしれない。その辺からの記憶は曖昧だ。

わたしは手相はわからないけれど、両手の甲を眺めただけでわかったことがある。11、12のあの頃からわたしは大して変わっていない。胸をふわふわと浮かせる魔法の餌食になって、手元がおぼつかなくなって痛い目を見る。しょうもない、愛すべきわたしである。

二度あることは三度どころか、もう四度目であった。

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