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手のなかのタイムスリップ

たった今、タイムスリップをしてきた。
なんて言ったらバカにされるかもしれないけれど。

でもそうだとでも言っていなければやりきれないような災難に、今しがた見舞われたところなのである。

事の発端は、iPhone7をMacBook Airにつないで充電していたとき。
いや、そもそもなぜそういう充電の仕方をするに至ったかというと、仮住まいの部屋にはコンセントが洗面所を除いて1か所しかなくて、それがベッドに面した壁にあるのだけれど、ベッドとの距離があまりに近くてケーブルが折れ曲がってしまって接続が悪いのである。だったらベッドを少し動かせばいいわけだけれど、ベッドが床に固定されているのかと思うほど微動だにしない。重すぎるのだ。そして今日、いよいよiPhoneのケーブルの接続の悪さが手に負えなくなった。幸いにもMacのケーブルの方は形状的に同じ問題が生じない。かくして、コンセント→Mac→iPhoneという形に落ち着いたのであった。

そうしたら、Macの画面にiTunesが立ち上がって、「新しいiPhoneを設定しますか? それとも、iPhoneを復元しますか?」と問いかけられた。
今からおよそ11か月前、iPhone6の画面が粉砕して何も映してくれなくなったときに、今のiPhone7に買い替えた。そのとき、アプリの移行はほとんど問題なくできたのだけれど(ZaimとルナルナとSleep Meisterは、未登録のまま使っていたので記録したデータが飛んだがまあしょうがない)、なぜだかiTunesの音楽は移せなくて、今の今までiPhoneでは音楽が聞けない状況が続いていた。音楽を聞かなくても生きていけてしまう部類の人間なので、まあしょうがないとあまり気にせずにきた。
それが今、復元しますかと問いかけてきたのだ。

あまりに今更だけれど、もう一方の「新しいiPhoneを設定する」という選択肢はなんだか危険な匂いがしたので、復元することに同意をしてみた。
しかし、それが間違いだった。

ケーブルを抜かないでくださいと言われて、iPhoneは真っ白の背景に食べかけのりんごが浮かび、しばし黙り込んでしまう。なんだか面倒なことになったかな。そわそわしながら待つこと数分。次に画面が立ち上がったときには、あら不思議。待ち受けが、見覚えのあるどアップのうさぎの写真だった。

わたしは11か月前に引き戻されていた。手の中にあるのは、iPhone6だった。

いや、正しくは端末そのものはたしかにiPhone7だった。でも、中身は6のときのものだった。7にしてから壁紙は初期設定の白い煙のままだったのに、それがうさぎに戻っている。7にしてから消したアプリがまた元のように並んでいる(7にしてから新たに入れたアプリは無造作に羅列されていた)。ファイルの分け方も、あのときのものだ。LINEを立ち上げたら、時間が2019年5月で止まっていた。

これは、絶望である。

具体的になにか大事なデータが飛んだとか、そういう実害を被ったわけじゃない。案外大丈夫だった。のだけれど、11か月の間指が馴染んでいたファイルの配置を取り戻すのは骨が折れたし、LINEの着せかえが初期化されていたのも地味に違和感が大きかったし、なにより深夜なのだ。なぜこんな夜更けに、誰も得しないタイムスリップの憂き目に遭わねばならないのか…。

ここから人生の教訓を導くことができるとするならば。
第一に、究極の二択を突きつけられたら真っ先に罠を疑って逃げるべし。
第二に、1年弱で人間の習慣は大きく変わりうる。己を変えたくば、まずは継続することだ。


人生で一度くらいタイムスリップとかSFチックな体験をしてみたいななんて思ったこともあったけれど、ここに前言を撤回する。この愛すべき平凡な日常が、明日も続くことこそが幸せである。

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