#27 雑談するわたし|思考の練習帖
実はちょっと忘れかけていたのだけれど、そういえば#22、23あたりで次年度の目標の分解をしていたのだった。
うっかり脇道に逸れていたけれど、まだもう一つ目標があった。
最後だけ妙な目標である。
なぜ敬語になったのか
デフォルトが敬語なわけじゃない。新卒で入った前の会社では先輩に敬語を話し、同期とはタメ口で、後輩には先輩風を吹かせていた。わかりやすい縦社会だった。
ところが転職して25歳(新人)になった途端、自分のポジショニングがわからなくなってしまったのだ。自分より若い人たちが独り立ちして前線でバリバリ頑張っていて、わたしは社会人としての歴はほんの少し上だけど仕事のことは何にもわからない。態度のでかい新人だと思われたくなくて(実際にはわたしの傾向として、そういう評価を得ることはおよそあり得ないのだけれど)、とりあえず誰彼構わず一律敬語で無難に乗り切る決意をするに至ったのである。
そうしているうちに、タメ口で話すことがなんだかひどく特別なことになってしまった。
仕事柄、クライエントは子どもたち。子どもたちとはフランクに互いにタメ口で話すので、対子どもはタメ口で対大人は敬語という線引きがはっきりとできてしまった。
そうなると、とことんだ。
新しい年度に入ってきた新卒の後輩たちにも、実習生にも、とにかく敬語じゃないと変な感じがしてしまう。
なんというか、不器用な人なのだ。
子どもの頃から人の呼び名を途中から変えることができなかったし、呼び方がしっくりこない人のことはいつまでも名前を呼べない。そもそも一人称からして長らく迷走していたくらいである(「わたし」に落ち着くまでに15年くらい費やした。これがわたしのコミュニケーション上の発達を大きく阻害したと言っても過言ではないと思っている)。
不器用なりの戦略
だから、最初が肝心だ。
直属の後輩たちが入ってくるこのタイミングで、わたしはこれまでのやり方に終止符を打つ。
こうやって明言しておくことで、無理やり軌道修正するのだ。とことん具体性を追求したので、こんなふうな奇妙なゴールを掲げるに至ったのである。
敬語NG、以上。この上なく単純明快。
わたしの理想の先輩像は、新卒一年目だったころのメンターのMさん。Mさんはたしか当時新卒六年目だったから、今のわたしとまあだいたい同じ。細やかに気を配ってくれて、社内にわたし専属の味方がいるという安心感があった。困ったらMさんに聞けばいい。いつもMさんが隣にいてくれる。
わたしも彼女みたいな存在になれたらいい。
シフト勤務の仕事なので残念ながら、いつもわたしがいてあげることはできない。専属のメンターではないので「わたしだけの味方」というわけにもいかない。
だけど逆に言えば、わたしが出勤するときにはいつも誰かしら後輩がいるわけで。わたしは四月からのエネルギーの多くを彼らに注ぐ覚悟を持たなければいけない。
今までは自分の仕事に百パーセントを注ぎ込んでいればよかった。自分のパフォーマンスをどれだけ伸ばせるかに注力していればよかった。
でももう、そう言ってはいられない。両方やるのだ。
自分のやるべき仕事を淡々と確実にこなしながら、後輩たちに目を配る。これらを、両方。動き出せば体が覚えるものだろうか。まだ始まらないうちは、なんだかそわそわしてしまう。
大事なのはコミュニケーションの量
質はもちろん大事だけれど、最初は何より量だ。
とにかくめちゃくちゃ喋って、緊張を解く。緊張は子どもたちにも伝わってしまうから。次年度の裏目標は雑談力だ。隙あらば雑談をして、わたしの素を積極的に晒していきたいと思っている。それは後輩に対しても同じ(むしろ初対面なのでなおのことだ)。
そのためにも、敬語NGは最初のとっかかりになる。フランクに話しかけてくれる先輩の方が、雑談しやすそうだから。
今日はここまで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?