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疲れすぎていつのまにか連想ゲーム

ぐったりげっそり。
今日はそんな一日だった。くたびれた。

なかなか思うようにいかない日はとことんそうなのが世の常で、今日はことごとく当てが外れた。思い返せば昨日からだった。
小さなやらかしが積み重なって、空振りが加速して、自己嫌悪でどよんと重たくなる。それが今日の不調の前触れだったんだろう。

不調と言ったけれど、不運の方が適切かもしれない。もっとうまく立ち振る舞えた部分はあろうけれど、それが格段に結果をよくしたとも思えない。
今日は残念な日だった。そういうこと。
むしろ、残念なりにかなりファインプレーをしたと言えるんじゃなかろうか。よくがんばった、わたし。

そんな日は、たっぷり自分を甘やかしてあげちゃおう。お風呂あがりにアイスを食べて、泥のように眠ろう。
泥のようにって言い回しは小学生の頃から好きで、よく使っていた。ネットで検索したら、正体もなく眠り込んでいるさまだと説明されていた。正体がなくなるほどか、さもありなん。

眠るということは、意識を手放すことだ。
意識を手放すって怖い。意識のある間のわたしの連続性がぷっつりと消えてしまうのだから。
大学時代、正体を失うくらい酔いつぶれることを楽しむ飲み会が何度となく催されたけど、わたしは四年経っても馴染めなかった。それはたぶん、意識を手放すのが怖いからだ。
意識を手放した後の自分に、わたしを委ねたくない。

それなのに、わたしは簡単に寝る。
この間はnoteのタイトルを考えながら寝落ちして、200を超えていた連続投稿記録をあえなく潰えさせてしまった(朝起きてめちゃくちゃショックだった)。
今日も病院の待合室でウトウトと意識が遠のいていくままにしていたし、今だって油断したら電車の揺れの心地よさに負けてしまいそうだ。
お酒を飲んで仲間の中で眠るのと、知らない人の肩にもたれかかって寝るのは何が違うんだろう(どっちも嫌だけど)。

眠気は眠らなければ取り去れないけれど、酔いは飲まなきゃ回らない。自分でコントロールできる幅の違いと言えるかもしれない。
仕事で夜眠れないのは、わりと不可抗力だと思うけどね。

生活を自分でコントロールできているという実感を持てることって、思っている以上に大事だ。わたしがなんだかんだ言いながらもこの仕事を楽しめているのは、そこに尽きる。
わたしは自分で選んでここに立っていて、この先もわたしが決められるのだという自負。それが心地よくて、ほどよくピリッと緊張感をもたらしてくれる。

自分で決めるんだ。
仕事場の子どもたちにも、そんなふうに思える日が来るように。

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