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#32 ディープなわたし|思考の練習帖

さて、今日は『世界標準の経営理論』の第22章「感情の理論」から、感情表現の理論(感情労働理論)を取り上げる。

感情労働といえば、アーリー・ホックシールドの『管理される心』である。二度読んで付箋まみれにした本。一度目は卒論の参考文献として、二度目は精神保健福祉士の資格取得のために入り直した大学の社会学のレポートで。
人々が私的あるいは公的な生活のなかで半ば無意識に、半ば強要されて感情をコントロールしているさまを描き出したものである。

ホックシールドは、感情をコントロールする手法として「表層演技」と「深層演技」を挙げている。

私たちは誰でも、多少とも演技をしている。しかし演技の仕方は二通りあるようだ。自分の外見を変えようとするのが第一の方法である。アーヴィング・ゴフマンが観察した人々にとってのように、そうした行為は、ボディランゲージや作り笑いや気取って肩をすくめるしぐさ、計算されたため息等のなかにある。これは表層演技(surface acting)である。もう一つの方法は深層演技(deep acting)である。この場合の表現は感情の働きの自然な結果である。行為者は、幸せそうにあるいは悲しそうに〈見えるよう〉に努力するのではなく、むしろロシアの演出家コンスタンティン・スタニスラフスキー(Constantin Stanislavski)が熱心に主張したように、自己誘発した感情を自発的に表現するのである。

アーリー・ホックシールド『管理される心』

これを、入山はこうまとめている。

サーフェス・アクティング:これは、「外にディスプレーする表情」と「自分の本心」にギャップを持ったまま、感情表現することを指す。
ディープ・アクティング:人が何かの外部刺激に直面した時に、「まず自分の意識・注意・視点の方向を変化させることで、感情そのものを自分が表現したい方向に変化させてから、それに合わせて自然に感情表現する」ことを指す。

入山章栄『世界標準の経営理論』

ディープ・アクティングの効果

ディープ・アクティングがサーフェス・アクティングより優れている点が二つあるという。

当事者の心理的負担が軽い

一つ目。サーフェス・アクティングは「外にディスプレーする表情」と「自分の本心」との間にギャップがあるため、当事者の心理負担が大きくなる。一方でディープ・アクティングはそのギャップを解消させるものであるため、心理負担は必然的に軽くなる。

効果が周囲に波及しやすい

二つ目。サーフェス・アクティングは取り繕った表情だ。人は取り繕った表情を見破ることができる。一方でディープ・アクティングは感情に沿った表情であるため自然で、周囲の人はその影響を受けやすい。

ディープ・アクティングを可能にする要素

…筆者は、ディープ・アクティングがもたらす示唆は小さくないと考える。それは、ディープ・アクティングでは、感情を変える出発点が認知の側にあるからだ。すなわち日頃の仕事から、「多角的な視点」「広い視野」「他者視点」を持つことの重要性を、ディープ・アクティングは示しているととらえられる。

入山章栄『世界標準の経営理論』

多角的な視点、広い視野、他者視点。これらをもってこそ認知的な転換が可能となり、感情の向きを変化させることができるというわけだ。ディープ・アクティングは、要するにあるがままの感情に対する認知的な介入だ。

そうやっていつでも方向転換して理想的な感情表現ができるということは、自分自身を自在にコントロールできているという万能感をわたしたちにもたらすだろう。しかし、本当にそうと言えるだろうか。
それは誰にとって理想的なのか。誰のために自分を制御するのか。

自然に湧き起こってきた当初の感情は、わたし自身の手によって捻じ曲げられ、なかったものにされてしまう。それって、わたしが生きているって言えるだろうか。
ホックシールドが『管理される心(原題:The Managed Heart)』という本で訴えたかったのは、むしろその点であったのだ。


今日はここまで。

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