好きな言葉は逆照射
逆照射という言葉はあまり日常的には使いませんが、私はこの言葉が好きなのです。
簡単に言うと逆照射という言葉は“物事には反対の要素が内包されている”ということ。
例えば、好きなものがあるということは、“好きではない”ものを決めているということ。
嫌いなものがあるということは“嫌いではない”ものを決めているということ。
つまり、
何かを選んだり何かを決めたりした時に、必ずその“反対”が発生してしまい、“反対側にも視点が照射される”というイメージなのです。それが“逆照射”という言葉。
ではどんな逆照射があるか?
これは“日常と非日常”についても感じるのです。例えば、毎日毎日仕事をしているとたまの休日がめちゃくちゃ輝くとか。逆に1ヶ月くらい仕事を休むと、段々やることがなくなって仕事が輝き始めるとか。毎日毎日家でご飯を食べていると、たまに外で食べるハンバーガーがめちゃくちゃ嬉しいとか。逆に毎日ハンバーガーばかり食べていると、家でご飯炊いて食べたくなってくるとか。
つまり、日常があるから非日常が生まれるのであって、非日常が日常になれば、日常は非日常になる。この逆転現象も私は逆照射と呼べるものだと思っているのです。
他には、メリットとデメリットの話もそうです。
コンビニは街中に沢山あるので、困った時に駆け込んで生活必需品を簡単に調達出来ますが、その分商品価格がちょっと高くなってしまう。一方で、大型スーパーなんかは、品揃えはコンビニよりも多いし色んなものを比較して購入出来るし、値段も安くなっている。一方で近くに住んでいれば便利ですが、店舗数も少ないため行こうと思うと少し遠かったり気軽に行けない場合もあります。
家電なんかでも、色んなことが出来る多機能なものは必然的にごちゃごちゃと色んなボタンが付いていて見た目が良くなかったり、沢山のことは出来るけど一つ一つの機能でみると高性能ではなかったりする。一方でたった一つの機能しかないけれど、機能性は良くて見た目もシンプルでかっこいいみたいなものがある。
つまり“何かを得ようとすると、必ず何かが得られなくなってしまう”ということであって、こうしたメリットデメリットも逆照射という言葉で呼べるものだと思うのです。
最後にこんなことも思い起こします。
仕事でもいいし受験とかでもいいし、恋愛でもいいのですが、何かを「やり遂げたい!」とか「あの人と付き合いたい!」とか強い気持ちを持てば持つほど、失敗したり付き合えなかった時がとても辛くなってしまう。つまり“熱量”が高ければ高いほど失敗した時の悲しみがとてつもなく大きくなってしまうのです。だからこそ、傷つくのが嫌だから何かに一生懸命になったり、本気になったりするのはやめようという考えもあると思います。
こうした
熱量高→喪失 大
熱量低(冷静)→喪失 小
みたいなことも、物事の表と裏のような関係で逆照射と私は呼んでいるのです。
しかし、この話は成功した時
熱量高→成功 喜び大
熱量低(冷静)→成功 喜び小
のように変わるわけですし、
「何に光が照射されるのか?」
「そうして生まれる逆照射は何か?」
という“逆照射を考える”ということには、様々な視点を考える側面もあるので、
好きな言葉は逆照射
というのが私の考えなのです。