手作りは凄いという幻想
手作りで作られたものは良いものなのか?マツコさんがCMに出てるパソコンのマウスで、国内生産だからって良いわけじゃないでしょう?っていう話の後に、手作りなんです!!って商品をアピールしていました。
〈ご注意!〉
ここからはCMについて私が感じたことなので、マツコさんの意見であるとか、企業側の考えであるとかそういうのは置いといてます。ただこのCMの中での言葉について思ったことですし、同時に私がCMを批判しているとかそういうわけでもないのでそこのところはよろしくお願い致します!
マツコさんが国内生産だからっていいわけじゃないでしよ?って言っていることも、確かにそうだよなーとおもいますし・・手作りなんです!って言われても、手作りだから良いわけでもないよね?とも思うわけです。
でもきっと手作りについての考え方はきっとあるんだろうなーと思ったんですね。というのも、私が家具を作ったり、お皿を作っていると、手作りだから凄い!みたいなことをいって下さる方がやっぱりいたんですよね。それはそれで評価してもらえてありがたいのですが、作る側から考えると複雑な気持ちになったりするのです。
それはどういうことかというと。
例えば・・
①機械では絶対に出来ない、手作りにしか出来ないものづくり。
→技術的に手作りでしか作れないもので、これは手作りにめちゃくちゃ価値があります。
では、
②手作りで作るのにとても技術が必要で、一流の職人さんにしか出来ない技だけど、1000万円で買える機械で同じものが作れる。
→これは凄い手作りの技術だけど、高級な機械を導入すれば機械でも出来るということです。これは手作りの技術も凄いと言えるし、そんな機械を使ったことも凄いと言える話で、技術レベルの高い話だと思います。そして高い手作りの技術を再現出来る機械があるなら、高い技術を持った機械にしか出来ない“機械だけの高い技術”もあると想像出来ると思います。
最後に
③1万円で買える機械で実現できる技術だけど、それを知らずに手作りで作っている。
→これは安くて買える機械があれば実現できる技術なのに手作りで作っているということです。この場合は色々な要素がからむ話になりますが、まずは人間の手で綺麗に作るにはそれなりに熟練した人でないと難しいことを1万円という比較的安価な機械で出来るということがあります。これは私の実感で、結構機械を使うっていうことはそういうものだと思っています。それなりに熟練が必要な技術を1万円とかの機械で実現できる、そんな機械を作ってくれて凄い!ありがとう!っていう話で。例えば私の木工で言うと、ノコギリで真っ直ぐに切るってはっきり言ってめちゃくちゃ難しいけれど、丸鋸とかのそれこそ1万円とか、それよりも安い機械で楽々綺麗に出来てしまうわけです。そう考えると機械を使って、早く・綺麗に・体への負荷が少なく・安全に、作れるのであれば、機械は使うべきだと思っています。そして、良い機械の存在を知らずに手で使っているだけのこともあるし、機械を使えば綺麗につくれるのにわざわざ手で作ることで“単なる未熟”なまま、ものづくりをしている場合もある。
ということで・・何が言いたいかと言うと、
①の意味で凄いならわかるのですが「手作りで作ってるんですかー凄い!」って言ってもらえても、②とか③のことを考えると、ハイテク機械でも作れるけど、色々なバランスの中で手作りを選択しているだけなので、手作りだから凄い訳ではないですよー、って言いたくなってしまうのです。
つまり①②③の話を考えると、
手作りとは、
“手作りにしか出来ないことだから価値がある”
機械には
“手作りで難しいことを簡便化して再現する力”
“手作りの高い技術を再現出来る力”
“機械にしか出来ない新しい技術の力”
があると私は思います。
もちろん、ここにはそもそもプロセスを楽しんでいるから機械を使わないだけとかって言う考え方もあるし、高級な機械を買って製品を作るのに一時間かかるけど、手作りなら10分で高いレベルのことが出来るとか、費用対効果の面もあると思います。機械でも作れるけど、手作りで作ることで、あえてちょっとしたムラを製品に作り、それを一つの魅力にすることもあるでしょう。だから一概には言えないところもあるんです。
でも、
手作りだから素晴らしい!って簡単にも言えないということです。
最後に、私が印象的だったことは、ミナペルホネンの皆川さんの話。何かのテレビ番組で「手で1時間かかることを機械で30分で出来るなら、手で8時間かけて作るものより機械で8時間かけて作るものの方が2倍良いものが作れる。」みたいな話をされていました。具体的には違う言葉だったと思いますが、こんな感じのこと。つまり機械というのは、手作りの延長にあるということですよね。機械生産というものが産業革命以降良い意味でも悪い意味でも社会に恩恵を与えてくれたけれど、手作りの延長としての広がった選択肢と考え、適材適所で活用していくことが大切なんだと思います。あとは、人々の幸せの中で機械がどのように活躍するか。やっぱり機械を使うことで労働に面白みがなくなったら辛いですから。
ということで、手作りだから凄いみたいな感覚がやっぱりあるよなーと思ったところから、
いやいや手作りだから凄いんじゃなくて、手作りを“活かしていたら”凄いんだよーと言うことを考えた話でした。