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感情の振り子と人生の振り子

子育てをしている時に
“辛い時の乗り越え方”
みたいなことをどう伝えたらいいだろう?と思うことがあります。
そんな時、“振り子”を例えにしてみたらどうだろう?と考えたのですが、そんなことをつらつら書いてみることにしました。

振り子のイメージ

まずここでいう振り子とは、“ある方向に振れた分だけ反対にも同じだけ振れる”というもので、その動き方に注目してみました。つまり、振れ幅が大きければ反対にも大きく振れるし、振れ幅が小さいと反対にも小さく振れるということをイメージしています。



◯まずは感情を振り子で考える。
この振り子のイメージが人間の感情を考える時に便利だなーと思ったのです。
そのことを考えるのに、NARUTOという有名な漫画を読んだ時、私が驚いたことをもとに考えてみます。主人公のライバルにサスケというキャラクターがいて、彼は家族を殺した兄に復讐することを生きる理由にしている復讐に囚われたキャラクターとして描かれています。そんなサスケの一族は「うちは」と呼ばれていて、復讐に囚われたサスケにももちろん「うちは」の血が流れていますが、その「うちは」は実はめちゃくちゃ愛が深い一族として描かれているのです。
つまり、
“復讐に囚われていて憎しみが深いのは、
同時に愛も深いからだ”
ということなんですね。

私にとってこれは衝撃だったのと同時に、歳を重ねていく毎にどんどん共感具合が増していって、最終的に振り子で考えてみると凄く理解出来たのです。

振り子で考えるとはつまりこういう感じ。

“憎しみが負の感情”だとして“愛が正の感情”と考えると、憎しみという負の感情が強いと、反対側の振れ幅も大きくなるので、同時に愛の正の感情も強くなる。

つまり感情は表裏一体の関係で、“ある感情が強いと、同時にそれに反する感情も強くなる”というのが振り子で考えてみた時のイメージなのです。
ちなみに正と負という二項対立のような要素を例えにしましたが、本来はベクトルがあるだけで、負がマイナスとか正がプラスとか、そこに良し悪しは存在しないということも大事なことかなと思います。

これが感情の振り子のイメージ。「優しい人が怒った時は怖い」ということを聞いたこともありますが、このイメージに繋がる話かなと思います。さて、この振り子のイメージを今度は“人生”に置き換え考えてみて、子供に伝える“辛い時の乗り越え方”に繋げてみたいと思います。

◯人生を振り子で考える。
先程の愛と憎しみの話を人生に落とし込むと、映画やアニメにもあるこんな例え話が浮かんできます。「人を深く愛せば愛すほど失った時の苦しみが大きいから、人を愛すのをやめた」みたいな話。「誰か大切な人を失ってしまって無気力になっている」みたいな話でもありますが、よく映画とかでもあるなーと私は思うのですが、どうでしょう?こういった話は、人を愛すことをやめたキャラクターが、もう一度人を愛すことを通しながら癒されていく、とか傷を癒すことでもう一度人を愛すことにチャレンジしていく、みたいな話に落ち着くことが多いかなと思います。
これを振り子で考えると単純な話で、人を深く愛せば愛すほど(振り子の振り幅が大きい)失った時の喪失感(反対方向に振れる振り幅)も大きくなるということなので、わかりやすいかなと思います。失う辛さを知っているので、人を愛すことをやめる(振り幅を小さくする)と、傷つくことはなくなる(反対側にも大きく振れなくなる)ので、心穏やかに暮らせる、という話です。

ここで私は思うのです。

人を愛すことをやめて、振り子の幅を小さくしてそれで“幸せ”なのか?

例えば、昔深く人を愛し失った人が、人を愛すのをやめてしまった場合、振り子の幅は“現状小さくなっている”かもしれないけれど、“振り子の最大値”は大きいということ。何故なら、その幅の広さを過去に経験し知っているから。

つまり
“振り子の幅は人生経験の豊富さ”
ではないかなと思うのです。

人の一生の中で、様々な経験をしますが、人生経験が豊富になると何にも動じなくなるみたいなことも言われます。その理由は、振り子の幅が広いので、小さな振り幅が発生しても動じなくなるということではないかな?と思うのです。

例えば、振り子が振れている時に何か障害物が飛び込んできたりして、いきなり大きく振れてしまう。そうなると突然の大きな振れ幅に心が大きく動揺してしまう。でも、その振り子の幅の最大値が大きければ、突発的な動きがあっても、許容範囲内であって動じなくなる。
みたいな話は、人生経験が豊かであるということを振り子というイメージでも考えられるなーということと繋がります。

そして、同時に“幸せ”ということとも関係するんじゃないかな?と思うのです。
例えば、、、

色んな経験をすることで段々と振り子の幅が広くなってくる。

幅が広がると小さなことに動じなくなる。

色んなものに振り回されることなく、心穏やかに暮らすことが出来る。

みたいな話。

もしくは、、、

色んな経験をする

喜びも悲しみも幅広く経験する

悲しいことを経験しても、同時に喜びがあることも知っているので、恐れずに次の一歩が踏み出せる。

大きな振り幅の中で生きていくと、幸福の最大値も高くなるので、必ずどこかで大きな喜びを経験出来る。

みたいな感じ。

だからこそ、振り幅が広く大きくなるということは、それだけ大きな幸福感も知っているということにも繋がるんじゃないか?と思うのです。だから色んなことを経験し、学び、知っていくことが“幸せ”に繋がるんじゃないか?と思うのです。

一方でこんな風にも捉えられる。振り子の振れる方向は正か負かは関係がない。だからもしかしたら、負の方向性に大きく振れてしまっているかもしれない。その場合「不幸が大きければ幸せも大きくなるから、今辛くても頑張ってね」みたいな話に捉えられるかもしれない。でも、振れ幅が大きいというのは、反対側に大きく振れる“以前”の状態なので、今いるところが辛いなら辛いことに変わりがない。だから、いつか反対に大きく振れるから頑張ってというのは単なる綺麗事。
でもそれが綺麗事であると同時に「大きな不幸は必ず大きな振れ幅を生むから、あなたの人生を豊かにする可能性を必ず持っている」ということも“事実”なんだと思うのです。(いや事実じゃない!ただあなたがそう思ってるだけでしょう?というのも事実でしょうw)でも振り子のイメージで考えると、必ず大きく振れていれば反対側にも大きく振れる“可能性”があると自信を持ってイメージ出来る。だから私にとっては、“振り子のイメージで考えることが辛い時の救いになる”ということなのです。
そして、私は自分の子供にそういうメッセージを伝えたいと思うし、それを伝えることが長く生きて、辛い時も楽しい時も知っている大人の役目だと思うのです。時には、私自身の辛かった時と、幸せだった時の経験談を通して、そんなメッセージを伝えたい。それが、今回の“人生の振り子”ということなのでした。

〈番外編〉
さて、もしかしたら、正の方向性にだけ大きく振れて負の方向に振れない振り子を用意したらいいんじゃないか?という考えもあるかもしれない。でもそれは大きく振れた振り子を止めるときには大きな力が必要だし、止まってしまった振り子をもう一度大きく動かすには大きな力がいるので大変です。だからそれこそが“自然に逆らう”ということ。止める時も動かす時も大きな力が必要であれば、必ず大きな負荷がかかる。もしかしたら、その負荷によって振り子を吊っている支点が壊れてしまうかも。

また支点と言えば、
振り子の支点が錆びて固くなってしまうと、滑らかに動かないなんてこともあるかもしれない。そんな時は感情が動かないので、感覚や感情が錆びついてしまって何にも感動出来ないとかになってしまうかも。私自身も「感動するってのがよくわからないから、感動してみたい!」という気持ちが芸術や美術の道に進んだ大きな理由でもありました。
そんな時は、どんな凄いものやどんな体験をしても振り子は動かないかもしれない。その場面では明確に“メンテナンス”が必要です。そして、メンテナンスをしてくれるものは人によって様々ですが、
・メンテナンスしてくれる人
・メンテナンスしてもらえる場所
がとても大事です。
それを子育てという観点から考えれば、絶対的な愛を持っている親だったり、それに値する愛情を注いでくれる特別な人だったりするんじゃないかなと思うのです。
・愛情
・心理的安全性
・自己肯定感
といったものは、まさに支点のことで、その支点に不具合が出た時に直してくれる安心感は、大切な人がいるとということなんじゃないか?とそんなふうに思うのです。


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