自分がMBTIにハマる理由 -自己認識の難しさ- (オタクでありオタクじゃない自分を通して)
もともと、私は自己認識というものが非常に苦手です。
それは自分における色んなことに繋がっている、
自分にまつわる色んな事象を引き起こしている
ように感じていて。
例えば
「ハマったものに対して異様に掘り下げたいと思う」
とも思うのですが…
かといって「他のことを全く疎かにして没頭するか」というと、
全然そうでない部分もあるなと気づく。
もちろん、今は仕事もあるからっていうのもありますけどね 笑
これも、広く捉えれば、自己認識の苦手さから
こんなことを呟いている。
今ハマってることは、おそらく類型なんですけど
おそらくINTPさんなんかは、こういう時一点集中で調べ尽くすのではないか (という勝手な推測類型)。
INTJさんも「こう!」という目的を決めたら、最大限リスクに配慮しながらやり尽くす気がする (という勝手な以下同文)。
私はそうじゃないかもな…とも思う。
おそらく、平均から言うと、ごりごりに調べる方だし
時間を区切れば自分なりにあらゆる手段で目的到達すると思うんですけど
でも多分ブレーキも働いている。
1番大きいのは、
「今そこに100%で突っ込んだら、自分には良くない未来が待っているでしょ?」
というブレーキだと思う。
これを類型に落とし込んで良いのかわからないけど、
自分は比較的INFJ的だと捉えている
(まあ自分だからね。客観視できていない部分も大いにあるだろう)
うん。
これをポジティブにもネガティブにも捉えられるけど、
他のINFJさんを色眼鏡で見られたくないので、類型と絡めた細かい考察はここでは控えることにしたい。
でも、多分、だから自分はNPさんに永遠に憧れている。
……で、なぜ類型にハマっているかという、今回の本題ですが
1つの大きな理由は、
上記の様に
私自身を、類型を通して分析できるからです。
こういうことを、多分私は怠ってきた。
分析することは好きだけど…
それを自身の感情や、下手すると考え方に向けることさえ怠ってきた。
客観視しやすく、それ (分析すること) が役立つ範囲…….
つまり自然科学に傾倒して、自分の分析癖を進めてきたけど。
案外自分は、
「人間の内面を解析すること」が好きなのだ
ということに、最近ようやく気付きました。
・人間の内面の解析への興味
・分類好き
という自分の嗜好を考えれば
類型に興味をもつことは、至極当然なことのような気がしました。
ただ、「じゃあなぜそういう嗜好になるのか?」
ということにも興味があるけど、
自分というサンプルから、これを解析することは難しく思える。
生得的なものだけではなく、
今まで歩いてきた道の影響は大きいと思う。
しかしその配分や、直接的な因子を同定することは困難だ……。
あと、結論的に、自分の興味が人文学的な方に向かってる書き方な気もするが、
そうでもなくて、そもそも依然として自然科学は好き。
というか、「論理性」そのものが
小学生くらいからずっと好きなのだ。
「論理」が向かうその先よりも
「論理性」そのものとか「共通するフレーム」とかが好き。
目的自体が、そもそも「論理性の追求」とか「構造の理解」なのだと思う。
だから数学が好きなのは、多分結構確からしい。
おそらく「完璧」なものに憧れがあり
自分の中で「完璧」になり得るもの
それが「論理性」なのだと思う。
持論として
「100%正しい人」はいないけど
「100%正しい論理性」は実現できる。
絶対正しい人はいないけど、
絶対正しい論理展開は存在し得ると考えている。
たとえ、そこに何も残らなかったとしても
焼け野原になったとしても
それが「完全な正しさ」なら
見てみたいと思う。
もう少し現実生活に根差すとして、
「自分も心地よく、誰も傷付けない、誰の権利も奪わない」という理想があったとして、それに限りになく近づくためにも「論理性」は有効となるという考えもある。
こういった部分は、自分の遊離型的部分な気もする。
ただ、自分にはそういった以外の部分も結構ある。
こういうことが、最近の類型を通した自己分析の結果として、わかってきた。
MBTIとか類型は面白いなと思う。
私の中では、まだまだ完璧な理論よいうよりも、とても有用なツールという認識だけれど……
面白いなと思う。
これは、まだまだ科学では扱えないものだと考えるから。