損する人生でも一番幸せに決まってる
ふと幼少期の辛かった出来事を思い出してしまう時がある。
父と母が出会ったのが共通の知人の知り合いなのだが、その知人の娘も奇遇なことに私と同い年ということで必然的に一番近い友達となっていた。
でもその子はワガママで負けず嫌いで自分が一番ではないと気が済まない性格で、親も親で娘が一番でないと気が済まなかった。
5〜6歳くらいの記憶だったと思うが、今考えても
そんな幼い女の子が「大人になる」なんて無茶に決まっている。
だけど、親からは「あなたが大人になって」「我慢して」「あなたは譲れるよね」っていうことを要求されていた。
両親は、他人に気を使うことがいいとしている様で悪く言えば相手の思い通り。
そして子供を犠牲にし守ることができていなかったのだ。
反対に向こうの両親は自分の娘は可愛がり、母との子供は冷たくするタイプだった。
辛くても親が味方になってくれたらどれだけ救われたかって思ったけれど、そんな幼少期を乗り越えて今に至る。
その時は、ズルくてセコくて意地悪なのに得する側の人になりたい!って強く思っていた。
何で自分は運悪く、守ってもらえず搾取される側なんだろうって悲しかった。
でも、成長してみるととてもよく分かる。
私には成長するきっかけしかなかった。
いい思いをしてなかったが故に、色々考えるきっかけにもなったし自分自身に集中できるような環境であった。
それに比べて、ともとも得する環境にあった子はというと何かが上手くいかなくなると人のせいにするようになったと思う。
自分より優れている人を見ると悪意を抱く。
自分は努力したり成長しようとするのではなく上手くいっている人と比べて嫉妬する。
でも、それが悪い!って思うのではなくて成長できるきっかけがなかったのだから仕方ないなと思う。
そもそも、「意地悪なのに得してる人ズルい!」ってよく言っている話を聞いたりするのですが
私は大人になって全くもっては思えなくなった。
物事を引いて見るクセがあるけれど、私には意地悪でズルい人が幸せそうに見えたことがない。
意地悪されて悩んでいる人がいるとしたら、どちらかと言うとあなたの方が救いようがあるよ
相手の方が救いようがないよって言いたい。
他人に害を及ぼして何かを得ることなんて何もない。
余裕がないから誰かから奪ってやりたくなる心理なのだ。
そんな人が幸せそうに見えるかって言われたらそうではないって分かるはず。
まだ自分の方が余裕あるなって気づくはず。
もっと自分に集中すべきだと思う。
あなたが憧れている人はどんな人?尊敬する人物はどんな人?
意地悪な人!なんて言う人はいないのでは?
自分がなりたい自分を追求しててぐんぐん成長していく人は私は素敵だと思うしそうでありたいと思う!
なりたい自分を作り上げた自分自身がどっからどう見ても一番幸せに決まってる。
そうやって生きていくと、その部分だけを見て妬んでくる人もいる。
でも妬む人が出てきたってことは相手から見ても自分が理想的な自分になれている証拠だと思うし
攻撃されたとしても、早くこのことについて気づけたらいいのにねって思う。
大切なのは、自分で自分の世界を創り上げることだと思う。
大人になった現在は、幼い頃と違って
選択肢が自分自身にあるから、一緒にいたい人やどう生きたいかを選択できる権利がある。
大人になるってとても素晴らしくて、幼い頃に辛かったことを全て癒すことができる。
私は、自分自身に生まれて例え得しない人生だったとしても誰よりも自分が大好きで幸福な自身がある。
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