争いたがっている世界から逃亡したい。
私は極度に争い事を好まない人種。
でも、私がここまで生きてきた世界では圧倒的に
「戦いに勝ちたい人」が多いと感じています。
なので、なるべく人と関わる上で自分の芯はあるけれど柔軟に柔軟に関わるように意識している。
そもそも、法律や人を不快な思いをさせること以外は正しいことも間違っていることもないし、
勝ち負けとかも特にない。
白黒もありだけどグレーでももちろんありというのが私の価値観の基本となっているから、
人と関わる上で相手を否定するような言葉だったり、自分の意見を突き通すようなことはよっぽどのことがない限り発言することをしない。
それは誰かから見たら意思がないと思われているかもしれないし、一人一人に同調するが故に八方美人だと言われてるかもしれない。
でも、何を思われようがそれは全然構わない。
何故なら私の中だけでとても大切にしている「理念」だから。
私以外の人に何を言われてようがそれはいい。
反対意見も一つの価値観だと思います。
でも、「戦うこと」は嫌いだ。
もちろん自分の価値観を押し付けようとは思わないけれど、争いとは出来るだけかけ離れた人生を送りたいと常々思っている。
例えば、スポーツはとても素晴らしく感動させられるもの。でもスポーツにおいても勝ち負けがあるのにも心苦しくなる。
きっと私が人と変わっているのだけれど、、
試合に勝った方、日頃の全ての努力が勝利という形で証明される。
では、負けた方は結果で負けと証明される。でも努力が足りなかったのかは分からない。勝ち負けなどの結果だけではあまりにも情報量が足りない。でも、どちらか勝ってどちらかが負ける。
残酷だなあと思うんです。
何で勝敗を決めなきゃいけないのか。
多分、大多数の人間は勝敗があることが面白いと感じるんだと理解してます。
ただ、私の中だとみんなが優勝であるべきだと考えている。例え自分が試合に勝った側私に負けて悲しんだり悔しがっている人を見たくない。
私は、勝つことにこだわりはないのでできることなら私に勝たせてあげたかったなと思うのです。
自分が楽しかったり実力を発揮できることが1番の喜びなのです。
この例の様に私は他人を勝たせてあげる人生です。
でも戦いたくないが故に自分を下げたり人に気を使うことに消耗されてしまうので、人付き合いがとても苦手です。
今日も仕事で先輩の気持ちも分かる、お客様の気持ちも分かるような間にもまれてしまうような立場になってしまいとても辛かった。
きっと私以外の多くの人は何かと戦いたがっているのだ。
そうやって自分自身を確立しているのだと思います。
強さ、それは時には眩しく素敵だなあと思います。
だが私がありたい姿は戦いに勝つ強さではなくて自分を、そして弱くても守りたいものを守ることのできる強さをこれからも養っていきたいと思う。
私の世界で私の望む生き方とら誰とも争わず、
全ての人が幸せだけを追求でき「私」というとても繊細な存在でも空気の吸えるスペースがあるととても生きやすい。
でも現状は難しく、共存することが苦痛で仕方ないからなるべく人との距離を保ち1人の時間を心底大切にすることでなんとか今を生きられてるなあって思う。
とても辛い世の中に感じるけれど、
私は物事はひとつだけではないと信じているので
私の様な人が確実に生きやすい世界もあると信じています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?