「やっぱり人間向いてないわ」子どもの泣き声
スーパーに行った。今日も仕事の疲れを抱えながらトボトボと歩いているとスーパーに響き渡る子どもの声。声の大きさと周りの人の視線でどこにいるかすぐにわかった。
幼稚生くらいだろうか。女の子が大きな声で泣いている。泣いている理由なんて私はこういう時大抵分からない。こういう時、一緒にいる親らしき人は泣き止ませるのに必死だ。大変だろうなと思いつつも、子どものあやし方は分からないし、このご時世もあって接触することはできない。できるのは、嫌そうな顔をしないこと、そして、心の中でお疲れさまと思うことくらいである。次第に女の子の泣き声は大きくなっていった。これは久々に見る盛大な泣き声だなと思った。
私の反抗期真っ盛りの時は、子どもの泣き声が嫌いだった。公共交通機関で聞く子どもの大きな泣き声で私の睡魔は襲いきれずでも離れてもくれず、私は睡魔といることで機嫌が悪くなっていった。きっと私の顔は仏頂面だったに違いない。けれど、最近は子どもの泣き声が嫌いとは思わない。これが年を重ねるということだろうか。この変化に何か大きな出来事があったわけではないが、例え睡魔がいたとしても、今子どもの泣き声を聞いて機嫌が悪くなることはない。心は平穏だ。と同時にその泣いている子どもが羨ましく思う。
小さい頃の私は、そんなに大きな声で泣くことは出来なかった。だから、周りの子でそんな子がいると、私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。そんな行動私には取れない。覚えている話だと、幼稚園の頃、幼馴染が注射の日に大声で泣き、逃げ、そしてその日注射ができなかったという内容だ。私は子どもながらその幼馴染にどうして?と聞いた。答えはシンプルであった。
嫌だったから。
私だって注射は嫌だ!けれどそれを拒否するということができるなんて知らなかったし、そもそも拒否するなんて考えも当時の私には思いつかなかった。嫌でもやるものだと思っていたが、両親が私を押さえつけたり引っ張って連れて行ったりという記憶はない。またその後の記憶で、母親から「あなたたち兄弟は病院に行くのに拒否しないから、すごく楽だった」という風に言われたので記憶は間違いないのだと思う。確かに他の兄弟も病院にも歯医者にもすんなり行っていた。だから、そういうものだと刷り込まれていたのだとは思うが、他の兄弟はどうやってそう刷り込まれていたのだろうか。
物心ついた時から私はもうできていたのだなと思う。自分が大好きで、よく見せたくて、どういう行動を自分が取ればいいのかなんとなく察してしまう。よくおしゃまさんと大人たちに言われていた。みんなの表情は柔らかかった。そうやって強化されていったのだと思う。だから、スーパーの子どもの泣き声が羨ましかった。大人になるとそう気持ちを全面に出すことはさらに出来ないから、今めいいっぱいそれを出してと思う。私はそれが苦手だったからこその羨ましさである。
noteに書いたのは、この女の子がただ泣いているだけじゃなかったからである。
買い物したくないー!
と、泣きながら訴えていたからだ。泣きながらそんなにはっきりと理由が言えることになかなかないなと、私は頬が緩んだ。その女の子に弟子入りしたいものである。