見出し画像

11. 白水滝、音響の予兆なく

間名古谷出合から20分足らずで滝見台の駐車場である。標高1250m。いよいよ白水滝しらみずのたきだ。

階段をすこし降りると一気に原生林だ。整備された散策路。欝蒼とした感はない。大木はミズナラとブナか。5分ほど歩く。

午後2時17分。標高1230mの滝見台に着いた。手すりに近づき木々の合間から対面する。

水口から滝壷に直接落ちる「直瀑」だ。明治時代に日本一を争っていた日本三大瀑布(三名瀑)だけあってすばらしい。なぜ三大瀑から転落してしまったのか。[1]

1990年の「日本の滝100選」にすら選ばれなかったそうだ。あの世の光瑤も嘆いていることだろう。

2024年5月28日、午後2時30分

落差約70mという。なぜか錯覚があって距離感が分からなくなる。目測が怪しくなる。

地形図を読むと確かに瀑身は1140-1210m、約250m先に見えていることになる。

明治41年はまだ地形図がない。光瑤はこう記している。

午後二時、空寂たる山中、かすかなる響きが森の奥から漏れて耳朶じだを打つ。進むにつれますます音が明瞭に聞えてくる。言わずとしれた滝の音だ。行き行きて滝を望むために、茂り合う木が切り開かれたところへ来た。大樹が道しるべのように倒れているのを伝って、巨大なるトチノキの下に立つと、わが憧れし、紅葉をもって装われたる白水の滝の大画図は、目前に展開された。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日発行)

116年前の光瑤と到着時間は17分しか違わないが、光瑤には音という前触れがあった。光瑤にとって白水滝はこれが2回目、「旧恋」であり「憧れ」との再会だった。

同じように原生林の中を歩いてきた私が鈍感だったのか水の音はまったく聞こえなかった。現代はそれだけ水量が少ないということなのか。

再び明治41年秋の光瑤の文章である。

削りなせる数百尺の絶壁の上は、欝然たる大森林をもって覆われ、その間より滝は、白馬の奔逸するごとく躍り狂うて、薬研やげんのごとき谷底へと落つる。落ちたる水は直ちに、滝壷を穿うがち岩に当って砕ける。咆哮怒号とも言うべき音響は耳も聾せんばかり、すさまじい鳴りをしている。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日発行)

「白馬」に「薬研」。馬は咆哮しない、いななくものだけれども、光瑤のイマジネーションには敬服する。
(つづく)


表紙は、原生林を通って白水滝に向かう散策路

[1]『山岳』第1年第3号(1906年11月) 大平晟「日本一の三大瀑布」によると、日本一を自称する3つの瀑布は「華厳」「称名」「白水」。『日本名勝地誌第四編』(1894年)によると、長さ二百十六丈[658m]、幅七間[12.7m]で、「世の那智、華巌等を観て壯と称し奇と呼ぶ者一たび此瀑を観れば何の辞を以て之を賛せんか、ただ地の僻陬に在るを以て知るもの甚だ少し此名瀑の為め真に惜しむべき事なり」という。これを踏まえて大平は、滝の高さは掛け値が大きすぎるといい、白水滝は「到底四十丈[121m]を超えざるべし」という。ただ称名滝は120丈と言われるが「確かにそれ以上の掛け値がある」としている。現在の滝の落差公称値は、称名滝約350m、那智の滝133m、華厳の滝97m、白水滝67.4mである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?