【資料】蘆谷蘆村「故竹貫佳水氏の事業」『童話研究』1巻2号(1922年)
故竹貫佳水氏の事業
蘆村居主人
故竹貫佳水氏の事業として擧ぐべきものは多くあるが其中に就いて最も重要なものを擧ぐれば四つある。一は兒童圖書館の設立である。二は少年世界の編輯である。三は少年文學研究會の創立である。而して四は、世に忘れられてはゐるが孤児院の經營である。
兒童圖書館についての竹貫氏の功績は、確に日本圖書館史上に特筆せらるべきものと信ずる。氏は早くから兒童用圖書を蒐集して、青山に於ける自邸内に圖書室を設け、少年圖書館と稱して之を公開した。これが恐らく我國に於ける兒童圖書室の濫觴であつてそれが次第に變遷發達して、今日会員の模範と稱せらる日比谷圖書館兒童室となつたのである。
『少年世界』は竹貫氏が創始したものではないが、竹貫氏の編輯の時代に於て最も多く其の特色が現れて居る。竹貫氏のこしらへた『少年世界』はどちらかといへば輕い滑稽味の勝つたものであつたが、滑稽の中に野卑な點が無く、誠に上品で兒童の性情に適してゐたと思ふ、一寸他人の模倣し得られざるところがあつた。今後あのやうな特色が繼續し得られることが望ましい。
少年文學研究會は大正元年に竹貫氏を中心として創立せられたもので、最初の會員は故大井冷光、松美佐雄、小野小峽、山内秋生、藤川淡水、鹿島鳴秋、諸星絲遊、井田絃聲の諸氏に、蘆谷蘆村竹貫佳水を加へた十人であつた、此内諸星絲遊、井田絃聲の二氏は後になつて退會し、清水桂、石黒露雄、故阪口利三郎、本田庄太郎、池田永治、磯萍水などの諸氏が會員となつた。そして大正元年に新作童話集『お伽の森』を博文館より出版し、次いで『お伽船』を同じく博文館から、『お伽學校』を敬文館から出版した。此間毎月一回例會を、一年に一回位大會といふやうなものを開いた。此會はむしろ隠田會といふ方が適切なと思はれるほどプライヴェートな氣分の會であつたから、會員の中には、どうかもつと研究的な會にしたいといふやうな希望もあつたが、とにかく少年文學に關する會合で、十年の久しきに亘り繼續し、そして何等かの事業が實際に行ひ來つてのは稀に見る所で、これ亦竹貫氏の人格の力といはねばならぬ。
育兒院の經營は恐らく財力の上から頓挫したものであらうが、兒童愛護の聲の高くなかつた昔に於いて、率先此の難事業に當り、社會に其の範を示したる効績は偉大なりといはねばならぬ。成敗の迹を見ず、其の精神を見る時は、竹貫育兒院の名は我が孤兒教育事業の歴史上に燦然たる光輝を放つて居るのである。
竹貫氏に最も敬服す可きことに私心のなかつたことである。氏の心には利己主義といふ分子が少しも見出せなかつた。其の仕事をする動機が極めて純であつて、自己の名利の爲といふやうなものは少しもなかつた。それだけに執着力の乏しいといふ缺點もあつたが、とにかく、今の時代には稀に見らるゝ美しい心の人であつた。これが氏の周圍に多くの人を引きつけた力である。
人物を發見することに於て竹貫氏は特殊の才を持つてゐたらしい。其の門下から清水桂、石黑露雄などいふ錚々たる少年文學者が出て居ることは、誇とするに足る。まだ前途の長い人であるが新進の畫家奥村秀策氏を發見したるも竹貫氏である。滑稽文學家奥野他見男氏の如きも竹貫氏によつて文壇に紹介せられた人であつた。
『童話研究』の第一號が出來たが、氏の病はかなり重かつたので遠慮して見せずにあつた。氏の容態がいよいよ危いといふ電話に接して病床を見舞ふた時に、今まで長い間、少年文學の發達のために骨を折つて來た人に、始めて出來た『童話研究』を見せずに死なすことが残念に思へてたまらなかつた。その時意外にも、瀕死の氏が、新聞を見たいといひ出したので、新聞を見たいと思ふ位なら『童話研究』を見せても分るだらう思ひ、ポケットから雑誌を出して、目の前にかざした。すると氏はいかにも驚いたやうな表情をして、表題を見つめてゐたが、かすかなしかも感激にみちた聲で、『君、よかつたねえ』と言つた。それから一、二分たつて『あなたの努力を祈ります』といつたが、しばらくたつてから、何と思つたのか、やつときき取れるほどの聲で、『世間でもあなたの努力をみとめてゐるやうだ』といつた。それが私のきいた、竹貫氏の最後の言葉であつた。私はあまり病人の心を刺戟してはならぬと思つたので、最後のきはまで友人を激勵する氏の心情に感激しながら病室を去つた。そのあとで氏は夫人に對し、枕頭においた『童話研究』を床の間にのせておくやうにいひつけたとのことである。それから三十分ばかりの後、氏の靈は永久に肉體を離れたのであつた。
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【編注】『童話研究』1巻2号(1922年9月)。蘆谷蘆村が書いた竹貫佳水の評伝。竹貫が亡くなったのは大正11年7月12日。『正教時報』(大正10年10月17日)には「『童話研究』の計劃について」という童話研究会による告知記事がある。同会は、竹貫佳水・松美佐雄・鹿島鳴秋・蘆谷蘆村の4人が幹事として名を連ねているが、連絡先は蘆谷宅である。つまり、『童話研究』の創刊までに約9か月と要したことになる。
(2020-12-21 23:28:23)