原生林のこんもりした稜線の向こうに残雪の峰々。あとで地図を見たら、白山の南に連なる別山(標高2399m)だった。石崎光瑤が「春の白山」を旅したのは5月13-16日だから、筆者のドライブ時期の約2週間前になる。
光瑤は明治43年(1910年)春、3度目いや正確にいえば
白水滝と4度目の対面をしたとき、この風景を総括するように書いている。
これはもう漢詩である。難しい。が、これが光瑤の感受性である。
「寵児」とは自分を指して言ったのか。光瑤は、圧倒的な水量の春の滝を見て、他の季節では感じられない「崇高」「尊厳」を感じとり、幸せに浸ったのである。
(つづく)