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3. 巨人の一枚壁、乳首は濡れた!?

国道156号線から右に曲がって大白川渓谷に入る。世界遺産白川郷の入り口であれだけ車が数珠つなぎになっていたのに、ここは閑散としている。

左岸の道を進む。狭いから対向車が怖い。

1キロほどで谷が狭まる。このあたりに「一枚壁」という絶壁があるはずだが、木々に隠れてよく見えない。1950年代ぐらいまでのガイドブックには必ず出てくる地名だ。

石崎光瑤も一枚壁に言及している。

右手は削りなせる数百尺の絶壁、ほとんど垂直に屹立きつりつせるために、喬木の生ずる余地とてもない。ただごく矮少なる木が岩面に朱の点体を添えているのみ。樵夫は名づけて一枚壁と称している。恐らく巨人が神斧をふるっても、度ごとにかかる雄快な仕事はできぬであろう。自分は、首骨の痛くなるまで仰ぎ見て、自然の大なる驚嘆するとともに、人間の余りに小なるに驚かざるを得なかった。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日発行)

進撃の巨人的な発想がすでにあったのか。光瑤の秋の旅行記は「きまじめ」という印象だ。

1年半後の明治43年5月、3度目となる旅行の時の記述は短いが、結構面白い。

フジ、ヤマブキの折り重なれる間を縫うて、八時二十分というに一枚壁へ着いた。水量の少ないところは別段難所でもないが、雪解けの水が谷にあふれて、澎溺ほうできとしてただちに峭壁しょうへきを洗いつつある今日頃は、すこぶる一行を悩ました。それでも幸いに乳首から下を濡らしたというまでで、さしたる過失も見ず通過した。

『山岳』第6年第1号(1911年5月5日発行)

乳首から下を濡らしたというのが生々しい。

およそ絢爛の花鳥画家らしくない。「澎溺」は「ほうでき」と読むのだろう。ものすごい水量で溺れそうになるくらい、という意味か。漢語2文字の表現は、効率的なようで、読み手はしんどい。いちいちweb辞書を繰ることになる。

一枚壁らしい場所から約300メートル、道が川と最接近する。ガードレールがない。わずか3メートルほどのがけ下に、岩を噛む水と青い淵が見えた。ただ「大」白川(おおじらかわ)というには水量があまりに少ない。

乳首が濡れそうになった渡渉は想像もつかない。

上流のダムで取水し、発電のため地下水路を迂回するようになってから、この谷の風景は変容したとされる。(つづく)

表紙写真は大白川おおじらかわ渓谷

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