14. 一陣の風 湯舟と老樹幻影
明治43年5月14日、土曜日。いよいよ石崎光瑤の「覚醒の一日」がやってきた。[1]
夜が明けると外は霧雨だった。やみそうにも思えたが、早々に白山登頂をあきらめ、休養日と決めた。
昨夕は雨のなか寒さに凍えながらこの「旧鉱山事務所」にたどり着いた。天井が低く大人4人では狭すぎる。蚤にも悩まされた。
朝食にはまだ早い。濃霧のなか光瑤は川岸まで下りて行き、温泉につかった。透き通った湯で、湯加減もほどいい。
時のたつのも忘れていると、一陣の風が吹いた。霧はみるみるうちに晴れていく。対岸に老樹が幻のように姿を現した。
その老樹らしきの絵が雑誌『山岳』に残っている。
にわかに陽光が差した。青空と雪の峰々、樹木と奔流が鏡のような水面に映る。ヤマバトが飛んだ。
湯から上がって、脱いでおいた衣を手に取ると、地面に花が咲いていた。ヤマエンゴサクとツルキケマンだった。「霊泉の湧出するところ泉神の撫愛によるものであろう」
光瑤にとって、予定にない一日が始まった。
(つづく)
[1]『日本登山史年表』(2005年)では、明治43年春の白山登頂日を5月14日としているが、正しくは5月15日である。これは、原著『山岳』第6年第1巻(1911年5月25日発行)に光瑤本人が「春の白山」で日付を誤認して記したことに原因がある。『山岳』第5年第2号(1910年7月15日発行)の「会員登山消息」(本人署名の書簡)では正しく記されている。同行した石黒劍峰によるルポ「飛越深山探検」『高岡新報』でも確認できる。
表紙写真は白水湖(大白川ダム湖) 大白川温泉はこの湖底