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9. 幻の箱抜峠と2つのつり橋

対岸に見えるあたりが箱抜峠(950m)だ。アワラ谷への林道の切り通しが見える。

この林道が開通したのがいつか分からないが、それ以前には登山道があった。

シナクラと箱抜の2つの桟道が老朽化して危険であることから、昭和28年か29年(1953年か1954年)に営林署と観光協会が2本のつり橋を架けた。

左岸からいったん右岸に渡り、小さな山稜を越えて、右岸から左岸に戻る。越える場所が箱抜峠だった。

『岩波写真文庫 228白山』(1957年)には、写真が何枚か掲載されている。

大白川道-箱抜吊橋
『岩波写真文庫228白山』(1957年)
左後方が吊橋か
箱抜峠 この付近はブナの原始林
『岩波写真文庫228白山』(1957年)

白黒で暗部は少し分かりにくいが、峠越えの雰囲気はよく伝わってくる。使われなくなった桟道も撮影されていて、貴重な記録写真である。

荒れた旧桟道
『岩波写真文庫228白山』(1957年)

当時の複数の雑誌によると、大白川と間名古谷の出合から400m下流に架けられたのが大白川吊橋で長さ40m。出合から50m上流の箱抜吊橋が長さ35mであったという。[1]

大白川にかかる大吊橋
『岩波写真文庫228白山』(1957年)
※流れは右が下なので対岸は左岸と推定

これらのつり橋や峠は今や幻である。1960年代中頃、大白川ダムを作るための資材運搬路つまり今の県道が延長されると、この登山道はほとんど使われなくなった。つまり10年余りしか利用されなかったことになる。

時は2024年。トンネルを抜けたこの場所でわざわざ車を止めて、箱抜峠を眺めて懐かしむ人はどれだけいるだろうか。

車道は箱抜からいったん離れて、間名古谷へと大きく迂回する。1キロほど進んで間名古谷をコンクリート橋で渡る。(つづく)

表紙写真は間名古谷に少し入った左岸から、大白川下流方向の箱抜峠を望む

[1]『山と渓谷』184号(1954年10月号)『ハイカー』36号(1958年10月)

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