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12. 無我の境地で細密スケッチ

白水滝しらみずのたきの周りは柱状節理の岩壁だ。[1]さらにその周りを微妙な色違いの緑が取り囲むようで美しい。左に目を移すと険しい谷筋に5月下旬というのに雪渓が残っている。

白水滝 2024年5月26日筆者撮影
画面右奥がロックフィルの大白川ダムの方向
標高1150m、5月下旬というのに雪渓が残っていた

116年前の石崎光瑤は、落下する水を幾度かじっと観察した後、周囲に目を転じた。この滝見台に立つ人はだれもがまず主役に目を奪われ、そのあと周囲を眺めて景色の壮大さを感じるのである。

しばらくたたずんだまま恍惚として眺め入っていたが、急いで写生に着手した。まず岩面の節理を写しはじめる。四角な岩が、あるいは縦に、あるいは横に、斜めに、急に並列し、積み重なれる奇観は、自分等のような地質学の素養のない目には、ちょうど玄武岩のようになって見える。荘重なる岩面に点綴てんてつせる楓葉は、冷やかにして死せるがごとき岩に燃ゆるような熱烈な色彩を加えている。瀑水、岩壁、樹木、背景としだいに筆をすすめて一心に写生を続ける。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日)

満山耳にするは轟々たる瀑音と、カラカラと梢より舞い下る落葉のほかには何の音もせぬ。鳥一羽飛んでいない。大製鉄場のなかに、幾百の鉄槌が一時に粗鉄を打ち延すごとき、滝の叫びは空気の具合か、水声の加減か、時に爆然とその音響を高めて鼓膜を打つ。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日)

このとき光瑤は無我の境地に入っていたとも記している。

明治41年10月18日、夕暮れは早かった。午後4時に写生を切り上げ、宿泊先に向かった。2キロほど離れた鉱山事務所跡である。川下の近くにある温泉に浸かり、体を温めた。当初、運が良ければ新雪の白山に登ろうと考えていた光瑤だが、「労多くして功少ない」と登頂を断念し、翌日も白水滝しらみずのたきの写生に出掛ける。

朝の日光を受けた瀑水は、金色に隈取られている。日光が差さなかった時は、水が岩面を擦過するのか、また岩を離れて直下するのか、ちょっと見分けがつくにくいが、今は斜めに日光を受けるため、明瞭にその直下する瀑身の影が、さながら疾走せる機関車が吐き出す黒烟の影を砂上に印するごとくに、綿をむしったような水が岩壁に明瞭に描かれている。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日)
『山岳』第4年第1号の口絵 白黒印刷
富山県立図書館の中島文庫蔵
(山岳研究家だった故中島正文氏の蔵書)
《白山裏山白水の瀧》『山岳』第4年第1号(1906年3月)

おそらくその写生の成果が、雑誌『山岳』の口絵になったものだろう。ちょうどはがきほどのサイズしかなく、しかも白黒印刷なので素通りしてしまいそうになる作品だ。が、よくみると線描がかなり細密であり、光瑤の執着心がよく伝わってくる。

瀑身を中心から外した意図は何か。これに秋色をつけたとしたらどんな作品になるのか。原作があるのであればぜひ見てみたくなった。[2]

この明治41年の秋の旅では、白水滝はもっぱら滝見台からの写生で、写真撮影という記述はない。
(つづく)

《白水附近の写生集》 『山岳』第4年第1号(1909年)
石崎光瑤の当時の写生集を撮影した写真

[1]『日本名勝地誌 第四編』(1894年)によれば、屏風を立てたようなこの岩壁を「俗に衣ヶ岩と称す」という。

[2]《白山裏山白水の瀑》は、光瑤と山に関心がある人は必見である。国会デジタルコレクションで見ると、緑系の単色刷りのようだが、実際はほぼニュートラルに近い白黒である。閲覧する際に画質調整で「白黒にする」を選び、「明度-4、コントラスト50、シャープネス2、ガンマ補正1.2」ぐらいで鑑賞するといい。

また、日本山岳会がWeb公開しているものは白黒のコントラストが強すぎて参考にならない。

富山県立図書館の中島文庫の『山岳』は、保存状態が極めて良好な状態で確認できる。

表紙は、光瑤の《白山裏山白水の滝》。白黒でやや濃いめに仕上げた。実際の絵の色調は不明である。

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