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ブルノ滞在日記13 日本学の学生さんとの交流会に向けて

今朝はひどい悪夢を見た。多分昨日拾い読みした本の影響だと思う。かなりえぐい内容なので詳細は省くが、自分の両親に関わる夢で、母の叫び声が隣室から響いてくるところで目が覚めた。7時前。母の叫び声だと思っていたのは、隣の家で飼われている犬の遠吠えと、屋外に響く鳥の鳴き声だった。よかった、夢か……。朝食を食べて、夫に電話をして、洗濯物を片付けて、ヨガをする。昨日山ほどの本を背負って帰ってきたので、思ったより肩が凝っている。

今日は夕方からブルノ・マサリク大学で日本学を専攻している学生さんとお話をしに行く。去年から学生の依頼に応えて開催している「日本語サロン」というサークル活動のようなものらしい。日本語に限らず、言語学や記号論について色々と議論をする会とのこと。そこで、翻訳者・通訳者として何か話してほしいというのが、先方からの当初の依頼だった。

とはいえ、わたしは翻訳者として正式に本を出版した経験はまだないし、通訳経験もほとんどない。翻訳・通訳に関する技術なんてわたしが教えて欲しいくらいだ。わたしは、多分先方が期待しているほど「すごい人」「えらい人」ではないし、「すごい人」「えらい人」として招待されるのはすごく気まずい。そんなことになったらうつ病が悪化するし。ということで、こちらからは別な提案をした。もっと自分が気軽な気持ちで話せる話題で、かつ、学生さんにも関心がありそうな話題。最近わたしが読んだ近年の日本文学を紹介するというものだ。最近は電子書籍化も進んでいるし、気になる作品があったら、チェコにいる学生さんたちにもアクセスがしやすいはずだ。

とはいえ、まずはわたしの読書傾向が偏っていることを断るところから始めなければならないだろう。そもそもわたしの読書はどちらかと言うと海外文学に偏っているし、芥川賞作家、直木賞作家をちゃんとフォローしているわけでもない。しかも最近自分が読んだ現代日本文学の作品を思い起こすと、その多くは女性作家の作品だ。この傾向は幼少期からあった。気がついたらなんとなく女性作家の作品を手に取っている。逆に、男性作家の作品は自分の中に入ってきにくいことが多い。

まず紹介したいのは、くどうれいんの『氷柱の声』と『うたうおばけ』。ちょうど先週末が3.11.だったこともあるからテーマ的には申し分ないだろう。心に抱える傷やしんどさを笑い飛ばすような軽やかさも、他の作家とは一線を画していると思う。重みや痛みを抉るような描写が足りなくて物足りないと感じる人もいるかもしれないが、わたしは、あくまでも前を向く希望と元気を読み手に与えてくれる彼女の書き方がすごく好きだ。また、彼女の日本語は非常に読みやすいので、日本語学習者にも入りやすい気がする。

逆に、日本語学習者や翻訳家を目指す人には、宇佐美りんの『かか』がどう映るかも気になる。この作品はすでに外国語訳があるのだろうか? もしそうだとしたら、一体どんな訳になるのだろうか? 冒頭部分だけでも朗読してみようかと思う。

遠野遥もおすすめしたいところだが、わたしには少し読みにくい作品だった。『破局』は面白く読んだが、最近出た『教育』は、ちょっとしんどくて結局最後まで読み切ることができなかった。多分彼の作品に描かれている暴力性のようなものが、わたしには受け付けないのだと思う。大江健三郎とかミシェル・ウェルベックの作品を読むときと同じ感じのしんどさを覚える。

また、日本文学を「日本人」作家に限定しないような紹介もしたい。温又柔の作品や、金時鐘の詩も紹介したいし、金時鐘に言及するならばMOMENT JOONにも言及しなければ。あと、絶版になってはいるけれど、最近読んだシリン・ネザマフィの『白い紙/サラム』も紹介したい。もしかしたら、今日話す相手が、いつか日本語で表現をする時が来ないとも限らないから。

実を言うと、わたしは日本語学習者と話をするのが結構苦手だ。今は状況は大きく変わっているとは思うが、わたしがまだ留学生だった頃は、向こうから「典型的な日本人女性像」を求められることが多かったように思う。一度などは、「日本人の女性は聞き分けが良くて、いつも男性の言うことを聞く」といった先入観に囚われたヨーロッパ人男性から、その思想の根拠となった複数のウェブ記事を送りつけられたこともある。なんでやねん……。

そこまでのことが起こるのは極めて稀だが、わたしは日本語学習者に会うたびに、相手が求める日本人像に無理やり自分を合わせたり、あるいは逆にそこからあえて逸脱してみたりと、ひとりで勝手に奮闘して、勝手に疲れてしまっていた。外国人のためのチェコ語を担当する先生の中には、「典型的なチェコ人」を演じているように見える先生もいて、見ていていたたまれなかった。でも、わたし自身、チェコ人やドイツ人の友人に無意識にステレオタイプを要求したり押し付けたりしていたのかもしれない。

今日はできるだけ日本人としてではなく、「わたし」というひとりの人間として学生さんと交流できたらと思う。

(背景写真は、今月ブルノで開催されるイベントをまとめたフリーペーパー。充実のコンテンツ!)

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