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ブルノ滞在日記28 (プラハ2日目)チェコ文学センターの方々との会食・友人との再開・ルトチェンコヴァーさんの朗読

今朝は6時起床。スマホアプリMySOSを確認すると、ファストトラックのための検疫手続き事前登録が全て完了していた。無事受け付けてもらえてよかった……。これで入国が少しは楽なはず。

朝食を食べて夫と電話。その後ヨガをして、ザンブレノの『ヒロインズ』を読む。最初は心に響いたところに付箋を貼っていたのだが、どのページにもどのフレーズにも心が揺さぶられるので、付箋を貼るのをやめた。本当は書いたり表現したりしたいという望みを抱いていた女性が、「病んでいる」と見做され、パートナーの男性作家のミューズあるいはファム・ファタルとして消費されてしまう。彼女たちの肉声は僅かしか残されておらず、わたしたちはそれを限られた資料から想像するより他ない。読んでいて胸が苦しくなる。

先日出版社のホストの編集者Šさんとお話ししたときに、彼が、フェミニズムや母娘関係といったテーマについて「こういうのは流行り物だけどね……」というようなことをちらっと口にしていた。もしかしたら聞き間違いかもしれないし、わたしが誤解しているのかもしれない。でも、何世紀もの間表出しなかった声を救い上げる作品は、決して単なる「流行り物」ではないと思う。フェミニズムが「ブームになりつづけること」は望んでいないが(「ブームになり続ける」ということは、男女間の格差や問題が未来永劫残り続けるということだから)、失われた声、発せられなかった声を蘇らせるという行為自体は、文学全体において普遍的な営みだと思う。

『ヒロインズ』は決してすらすら読める本ではない。どの文章にもどのページにも引っかかってしまって、なかなか先には進まない。そうこうしているうちに出かける時間になった。支度をして家を出る。今日は雨が降っていて寒い。久しぶりにニットを着た。

今日は11時30分にナームニェスチー・ミール Náměstí míru で、在プラハ・チェコ文学センターの方々と昼食を取った。ナームニェスチー・ミールとは、「平和広場」という意味で、聖ルドミラ教会を中心に広々とした芝生の広場が広がっている。広場では、イースター・マーケットの準備が始まっている。

チェコ文学センターの4人の女性職員と一緒に近所のカフェで昼食を取った。みなさん少し疲れているように見えた。聞くところによると、なんと常勤3人と非常勤2人の計5名で仕事を回しているらしい。もちろん日本のようにサービス残業をしたりなんてことはないだろうが、海外出張も多いらしく、大変そうだった。それでもどの職員さんも非常に親切で、笑顔が素敵だった。翻訳のことや、『翻訳文学紀行』の話、出版事業を拡大したいという話をすると、応募すべきグラントをあれこれ教えてくれた。来年から大学でチェコ語の授業をひとつ受け持つことになっている旨を告げると、しっかり者のMさんが、「チェコ語を教えるのは大変でしょ。わたしもね、1回だけチェコ語を教えたことがあるわ。日本人の子も2人いた。でも本当に大変だったわ。ずっと「うーん、これは例外なの」ってばかり言ってたわ」と言う。そうそう、と頷いていると、「大丈夫よ、『これは例外なの』は超効果的よ!」と断言する。Mさんはちょっと大阪のおばちゃんっぽい。

昼過ぎにMさんに仕事の電話がかかってきて、職員さんと一緒にばたばたと外に出る。もう少しゆっくり話したかったけど、みなさん本当に忙しそうだった。もう少し職員を増やしてあげてほしい。

次の約束まで時間ができたので、家族や友達へのお土産を買いに街に出る。町の様子はかなり変わっていた。何より、宗教改革者ヤン・フスの銅像で有名な旧市街広場には、フス像の斜め向かいに、ハプスブルク帝国の崩壊とともに倒された聖マリア柱像が立っていた(写真は準備中のイースター・マーケットの建物で分かりにくいが……)。

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ハプスブルク帝国時代の旧市街広場の光景が今になって再現されたということになる。プラハの人は大して信仰心も篤くないのに、なぜこの後に及んで建てたのやら……?

買い物を済ませて、15時に再びナームニェスチー・ミールで、イラストレーターの友達と会う。彼女とはこれまで多分数えるほどしか会ってはいないのだが、なんとなく、いろいろな問題に関する悩みかたや、自分の内面との向き合い方など、お互いに通じるところがあるような気がしていた。今回の滞在中もメッセンジャーでやりとりをしており、わたしの心の状態をとても気にかけてくださっていた。

雨が降っていたので、彼女が一度行ってみたかったというカフェに急いで駆け込む。焙煎コーヒー(だと思う)が売りのおしゃれなカフェで、繁盛していた。互いに近況報告をする。話題は、仕事のこと、恋愛との向き合い方、精神の安定のさせ方などなど。初めて彼女に、自分が20代後半に経験した血みどろの恋愛話をした。渦中にいるときは死ぬほど苦しかったし、辛かったが、時間が過ぎれば笑い話だ。彼女も今まで、人間関係や仕事のことで様々な問題で苦しんできたらしい。

-多分どこかで「自分なんて……」って思っているところがあるんだろうね。イラストを依頼されたとき、自分が表現したいことよりも、求められていることをに従って描こうとしてしまって。そしたら、描いてる時の姿勢がいつの間にか捻れてくるんだよね。
ーそれは、身体が拒否してますね笑 でもわたしも、自分が書きたくない論文を書いていたときは身体が捻れそうになりました。

身体は頭よりも素直なのだ。わたしたちはもっと身体の声に耳を済ませなければならないのかもしれない。

そんな話をしているうちに、次の約束の時間が近づいて来た。19時からヴァーツラフ・ハヴェル図書館でルトチェンコヴァーさんが参加する、マグネシア・リテラ候補作の朗読会があるのだ。朗読会には、ブルノ滞在記11で書いたタンデムパートナーMも呼んでいた。ルトチェンコヴァーの本を読み終えたとき、思わず彼に『アマーリエは動けない』をお勧めし、訳すのを手伝ってくれるよう頼んでいたのだ。朗読会開始1時間前に近所の喫茶店でお茶をしながら、最近の健康状態や作品について話をする。そのときに初めて、Mに自分の母との関係を話した。わたしの話を聞いて彼はびっくりしていたし、悲しそうな表情をしていたけれど、「だからこそわたしがこの作品に惹かれたのは分かる」と言っていた。

1時間後、一緒にヴァーツラフ・ハヴェル図書館へ向かう。わたしは留学中に何度もこの施設に足を運んでいたが、プラハ生まれの彼は初めで少し緊張しているようだった。

朗読を行なったのは4名。様々な部門のノミネート作品をひとつずつ紹介していくというものだ。朗読も、その後のトークも全て含めてどの作品もとても面白かった。お目当てのルトチェンコヴァーさんの朗読は一番最後。壇上に上がって来たのは、真っ赤なワンピースを着た、背の高い、金髪の女性だった。かっこいい! まるで内側から輝くようにエネルギーが溢れていた。彼女はもともと詩人で、散文での受賞は今回が初めてらしい。戯曲を書いているということは彼女のウィキペディアで知っていたが、彼女の朗読そのものも素晴らしかった。後で尋ねたところによると、どうやら役者として演じたりもしているようだ。

彼女は4年ほど日本語を勉強し、日本には2度旅行をしたことがあると言う。作中では京都の様々な名所旧跡について言及されており、大阪住まいのわたしよりもずっと京都に詳しい。彼女の作品を翻訳する際は京都を徹底的に観光することにしようと思う。

ブルノ滞在記3でも書いたが、チェコの人は日本と比べて家族が好きで、大切にしている人が多い。わたしも、タンデムパートナーのMに親との関係を伝えるのには時間と相手に対する信頼感が必要だった。ルトチェンコヴァーさんのように、母と娘の問題を作品として作り上げ、それを世に出すことは、本当に勇気があると思う。でも、彼女はそんな辛い過去を背負いながらスポットライトを浴びてきらきら笑っている。すごく素敵でかっこいい。彼女のトークで一番印象深かったのは、彼女が、「ある書評で『語り手は、アマーリエの良き友のようだ』と書かれていたのがすごく嬉しかった」と言っていたことだ。まさにそれと同じことを、わたしも感じていた。あるいは語り手だけでなく読み手も、物語の進行とともに、アマーリエの良き友であり理解者になっていくように思う。読みながら思わず、「アマーリエ頑張れ! 大丈夫だよ!」という気持ちにさせられるのだ。

これも後で聞いた話だが、『アマーリエは動けない』は、やはりルトチェンコヴァーさん自身の家族関係と深く結びついているようだ。もしかしたら彼女は自分の内面にある苦しみを、アマーリエという登場人物を描くことで相対化しようとしたのかもしれない。『アマーリエは動かない』は重いテーマを扱いつつも、エンディングには希望がみえる。ルトチェンコヴァーは作中でアマーリエの1番の友達として彼女を助けながら、彼女自身を助けようとしたのではないかと思う。それができたからこそ彼女は、あんな風にきらきら笑えるのに違いないと思った。

朗読会終了後、彼女と少し言葉を交わす機会に恵まれた。なんと、2人とも、お互いにプレゼントとして本を持って来ていた。わたしが彼女に持って行ったのは、先月初めてチェコ語に翻訳・出版された小川洋子の『密やかな結晶』だ(チェコ語訳は『失われた記憶の島 Ostrov ztracených vzpomínek』)。彼女の作品を読んで、なんとなくわたしの頭には、川上弘美の『先生の鞄』と小川洋子の『ホテルアイリス』が思い浮かんだ。そのことをメールで伝えると、川上弘美は彼女のお気に入りの作家の一人であると言う。川上弘美が好きということは、多分小川洋子も好きに違いない。まだ、手に入れていなければいいけれど……と思ってプレゼントしたら、ちょうどわたしのメールを読んで小川洋子を読みたいと思っていたところだったようで、とても喜ばれた。

彼女がわたしに持って来てくれたのは、チェコ語原文とドイツ語訳が併記された彼女の詩集だ。「あなたはドイツ語も翻訳していると書いていたから、ちょうどいいと思ったのよ」と彼女はにこにこしながら言う。実は、いくつか本屋を巡ったのだが、やはり詩集は発行部数が少ないためか、彼女の詩集を見つけることはできないでいた。やったー!

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しかも表紙をめくると、彼女の手によるメッセージまで添えられていた。

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本当に嬉しい。絶対に、絶対に翻訳しようと心に誓った。

明日はいよいよ日本に向けてチェコを旅立つ。無事帰国して、健康を保ちながら思う存分翻訳と出版ができますように。


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