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WNM-001『私という猫 完全版』について
ことさら出版の5年ぶりとなる出版物として、11月1日にイシデ電さんの『私という猫 完全版』を発売した。こういった文章は、発売の前後に公開するべきものでお恥ずかしい限りであるのだが、この本についての覚書のような文章を綴りたい。
作品の内容については、こちらの「版元にて」で書いており、そういった部分以外の話になります。
初めての商業流通
『私という猫 完全版』は、取次と契約し、本を取り扱っていただいている。
取次の機能を説明すると、契約すると雑誌や書籍の商業流通のネットワークに乗り、通常の書店で購入することができる。置いていない場合は注文すれば取り寄せられる。といった感じだろうか。
検索すると色々と解説ページもあると思うのですが、Wikipediaの項目があったので以下に貼っておきます。
いわゆる「出版社」とは、「取次と契約して本を出版している組織」を指すように思う。
5年前に出した、これまたイシデ電さんの『猫恋人 キミにまたたび あのコに小判』と、『私という猫 完全版』は、同じ装丁家と印刷所による本である。しかし、出版業界の分類としては、猫恋人小判は自費出版の同人誌で、私という猫は商業出版の単行本になるのではないか。後者も自費の出版物ではあるんだけど。
要するに、今のことさら出版は俗に言う「ひとり出版社」というやつなのかもしれない。
しかし、ことさら出版は元々「仕事が忙しければ仕事を優先する」というルールでやっており、今後もこのルールは変えられないと思っている。
刊行前は、自分でも商業出版をする以上、色々頑張らなければいけないという思いはあった。
しかし、こういう文章も発売直後に出したかったものの、心と体が追いつかなかった。
日中、ご注文と思われる書店からの着信があって出られなかったことも何度かあるのだけれど、「無理をしたら壊れるやつだ」というサインを感じてしまった。本当に申し訳ない。
これは冗談抜きでイスラエルのせいである。
この1年はこれまでの人生の半分くらいしか仕事的な稼働ができていない気がする。人と会う用事があるとき以外、日中に起床することがほとんどできない。
元々かなりの夜型なのだが、明るいうちに活動することが申し訳ない気がしてしまう。「お天道様が見ている」という物言いがあるが、イスラエルの詭弁のもとに命を弄ばれた人たちに、しょうもない人生を見つめられるようで。夜なら見えないって話ではないけれど。
正直、こういった電話や問い合わせに版元がスピーディーに対応できないのは、イコール商機を逃すということで、書店様・読者様だけでなく著者に対しても失礼な行動であるのだが、これについては、自分が頑張るのではなく、「そんな版元だけど出してもいい」と思ってくれる方とだけ本やCDを作っていくしかないと思っている。
本業優先とはいえ商売も大事
イシデさんのファンの方からすると、なぜことさら出版の自分語りを読まされるのか、という話だと思うのだが、理由はあるのでご容赦ください(そもそもイシデさんの話はそんなに出てきません)。
ここで話は「コミックビーム」誌にて、『猫恋人 キミにまたたび あのコに小判』の原作『猫恋人』の連載が始まる前に遡る。
元々私はイシデさんの初連載となる『リアルワールド』(桐野夏生の小説コミカライズ)の掲載誌も読んでいて、その後の作品も大体カバーしている読者だった。
その後、知人が色々あってイシデさんと飲み友達になり、その流れで私も直接知り合い、たまに飲んだりするようになる。
あるとき、今度ビームで連載が始まるという話を聞いた。そして、その連載は単行本が出る予定はないという。これが『猫恋人』だった。
出版レーベルをやる構想はすでにあったので、「それなら単行本を作らせてほしい」と相談して内諾を得る。ただ、どうにかできるとは思っていたけど、InDesign(入稿ファイルを作成するDTPソフト)も触ったことのない人間で、その場で即決ではなかった気がする。
私は生きている限り、社会にとって良い存在でありたいと思っているので、こんな気候危機の時代に紙の本を作るからには、意義のあるものを出さなければいけないと考えている。
また、意義さえあればいい、という話でもなく、最低限商売にならなければいけない。本を作るくらいの蓄えはあるが、お金に余裕があるとはとても言えない。
だから活動方針は「仕事優先」なのだ。仕事がある限りは少々の赤字は許容できるが、持続可能性が損なわれるレベルで売れないのも困る。
そんな人間にとって――自分でも嫌な表現をするけれど――、イシデ電ほど心強い作家はいない。
2022年の『ポッケの旅支度』まで、一度も重版を経験したことのない“売れない漫画家”だが、本物の才能であることは明らかで、音楽で言う「ミュージシャンズ・ミュージシャン」的存在。
猫恋人小判出版時の特設ページに、元コミックビーム編集長・『猫恋人』連載担当の岩井好典さんが寄せてくださったコメントに、
イシデ電の漫画には、確実に「なにか」がある。
それは、それに触れたものを幸福にする「なにか」である。
漫画という大海原には、まだまだ新たな恵みに溢れた島々がひっそりと浮かんでいる。それらの存在を知るものは、まだ数はそれほど多くないかもしれない。だが、かれらは羨むべき楽園の住人なのだ。
とあるのだが、イシデ電ファンの皆さんは、この言葉が大げさではないことをよくご存知でしょう。
そして商業出版の規模では「売れない漫画家」でも、大赤字にならなければいい小規模出版の立場からすると、「楽園の住人」たちが買ってくれれば損益分岐点を超える目算は立つ。
また、その時点では内容を知らないわけですが、コミックビームで数々の名作に携わってきた岩井さんがゴーサインを出した新連載だ。単行本を出す意義も間違いなくある作品になるだろう。
そんなことを私は考えていたのだけれど、困ったことにイシデ電の漫画に「なにか」があったために『猫恋人』は好評を博し、出る予定ではなかった単行本が商業出版されることになる。
その話を聞いたときは、まあ、「聞いてないよ!」と思いはしましたね、正直なところ。
とはいえ、それはイシデさんも同様であり、KADOKAWAが出すほうが良い本になるに決まっているので素直に祝福した。
……のだけれど、問題はその後だった。
『猫恋人』の連載は全2巻分の話数で完結したのだが、イシデさんや私が「無印」と呼ぶ単行本の売れ行きが芳しくなく、続刊となる『猫恋人 キミにまたたび あのコに小判』は電子書籍のみの刊行となった。
近年の漫画業界ではよくある話だ。
でも、出版の内諾を得ていた者としては悩ましい。
『猫恋人』はオムニバス作品なので、小判だけでも読める。また連載で追っていて、自分でも面白いと言い切れる作品だった。
でも、商売的にマイナス要素がない、と言うと嘘になるわけで。
しかしながら、最終的には、電子版を購入している方がほとんどだろうけど、「楽園の住人」たちは紙の単行本も欲してくれるに違いない――と考えて、小判の単行本を作らせてもらった。
(ちなみに刊行後、損益分岐点も無事にクリアしております。本当にありがとうございます)
単行本が買えない『私という猫』
小判を出して、損は出さずに済み、非常によい経験ができた。
とはいえ、無印の『猫恋人』単行本は入手困難。滅多にないことだとは思うものの、小判の紙版をたまたま購入し、無印を読みたくなった紙派の方がいたら、申し訳ない気持ちがある。
作品の全てをお届けすることを自分の裁量でコントロールできるタイトルを出したいなあ……という思いは強くなった(わりにはそこから5年空いているけど)。
で、こんな話、前にもあったよな、と『私という猫』のことを思い出した。
イシデ電ファンが、楽園にたどり着くきっかけとなった作品として、最も多く挙がるだろう代表作。
しかし、そんな作品は、出版社からの依頼で連載されたものではない、インディーズの作品だった(そこがイシデさんらしい、とも思うけれど。謂わば作品の出自も野良なのだ)。
『私という猫』は、商業誌の仕事がない時期に「漫画家」でいるために描く、という思いが出発点で、2007年から自身のブログに発表していた作品だ。
その間、商業誌での連載があった時期はそちらが優先になる。単行本に重版がかからずとも、編集者はその才能に目をつけてしまうので、執筆開始以降連載仕事もコンスタントに入ることになり(その理由が『私という猫』にもあったと思われる)、商業連載なら1~3年分くらいだろうボリュームの作品が完結したのは2019年だった。
それだけ時間が空くと、そう、本が入手できなくなる。
今は商業漫画家を引退した、と言っている身だが、イシデさんの漫画力は強すぎるので、以前はTwitterで年に何度か――バズらせようとする企みやテクニックを弄さずに――バズっていた(言葉・詩の力も強いので、漫画と関係ないツイートもバズることがある)。
その頃はまだ、Twitterはあるけれど日本人ユーザーはほぼいない、くらいの時期だったと思うのだが、『私という猫』のブログも話題を呼び、08年には幻冬舎からA5版の単行本(以降「第一部」)が刊行されている。
その後執筆期間が空き、二部に相当する『私という猫 呼び声』(幻冬舎)も2013年に刊行されている。
ここで、単行本の形態が変わることになる。第一部の単行本は「Birz extra」というレーベルでA5版、ブログでイシデさんの手描きだったセリフやモノローグ等の文字も、そのまま収録という内容。
一方『私という猫 呼び声』は、「バーズコミックススペシャル」というレーベルから(コミックスに多い)、B6版で文字も商業雑誌で用いられる写植に変更されている。
そして、この間にも定期的に話題になって猫好きにぶっ刺さるなどして、この時点で第一部の単行本が入手困難になっていた。
それもあって、翌年には第一部もバーズコミックススペシャル・B6版・写植入りの新装版として刊行される。
さらにその後、『猫恋人』が17年~19年まで連載するなどのインターバルがあり、完結巻となる『私という猫 終の道』(幻冬舎)が19年に刊行されたときも、やはり第一部と呼び声の単行本が入手困難になっていた。
そのような流れで、イシデさんがバズったタイミングで初めて『私という猫』を知った人には、単行本を全部揃えるのが難しくなっていた。
バーズコミックススペシャルの単行本は、まだ「この本屋には楽園の住人がいるな」と思うお店でたまに見かけることがあり(売れ筋ではないかなり昔の本が返本されずに棚にあり続けるのは、書店員さんの強い意志なくしては基本的には不可能だと思います)、ネット通販もできるところもあると思うのだが、おそらくBirz extra版の第一部が新品で買える書店はほぼなく、あっても日本全国でも片手に余るくらいではないだろうか。
そのため、イシデさんはかねがね『私という猫』は自分が同人誌で出す形ででも、必ず再販したいと言っていた。
あるとき、このことを思い出した私が『私という猫』をことさら出版で出させてもらえないだろうかと打診し、作品を預けていただくことになった次第である。このときも、即決ではなく、しばらく後にOKをもらったような。
それから色々と相談した結果、まとめちゃうのが面白いのでは、という話になって、1冊の「完全版」として刊行することになった。
(「作品の内容」ではない「本の内容」については、別投稿で触れる予定)
大変でしたが――私よりもイシデさんが、なんだけど――、分厚い本をつくるのもやってみないとわからないことが色々とあり、大変よい経験ができたと思っている。
そして、いやらしい話だけれど、今後も長く語り継がれる力を持つ漫画だと思うので、これでも価格を抑える努力はかなりしているのですが(528ページ・2,400円+税)、赤字になることはないと考えている。
……のですが、発売後すぐにこういう文章も書けないポンコツが一人でやっており営業機能もほぼゼロなので(フリーの書店営業さんにお仕事を依頼したい気持ちはある)、作品を売り伸ばしていくには、すでにこの作品の力を知っている方の口コミやSNS投稿が大きな力になります。
というか、それくらいしか頼れるものがないので、よろしければお力をお貸しいただけると有難いです。
寄付について
商業出版以降のことさら出版は、著者印税とは別に、売上の1%を著者が指定した組織・団体に寄付するというルールで活動している。
『私という猫 完全版』については、イシデさんが自身の印税を減らすという申し出をいただいたので、3%を寄付にあてています。
初版分の振込はすでに行っており、今後重版するようなことがあった際には、基本的に刷り部数分の印税を再度寄付する予定です(原価率をかなりギリギリのところに設定しているので、1~2年やってみて「これでは厳しい」となったら、初版以降は販売数に応じた寄付とさせていただく可能性はあるかもしれません)。
ちなみに、ことさら出版の「社会にとって良い存在でありたい」という思いは、パレスチナ問題などもあるけれど、国内の書店様に強く向いています。
オンライン書店様でのお買い上げももちろん有難い&この文を読む方のほとんどはすでに『私という猫 完全版』をお持ちかと思うのですが、もしこれからお求めになろうと思っていただける方がいるようでしたら、リアル書店や、「独立系書店」などと呼ばれる書店の通信販売でお求めいただけると嬉しいです。通信販売が可能な独立系書店様の情報は後に別投稿にまとめます。
(ただ、分厚い・高い・知らない版元のタイトルを、普通に入荷しているお店は多くありません。その手間がどれだけ大きなものかは百も承知ではあるのですが、書店様でお買い求めいただくにはご注文が必要となる可能性が高いです。それでもよろしければぜひ)
余談
私はイスラエルの蛮行が終わらない間は喪中と認識しているので(ウクライナにもミャンマーにもコンゴにもシリアにもアフガニスタンにもハイチ等々にも言えることではあるが、これだけジェノサイドが可視化されている中で平気でいられる人の多さが理解しがたいものがあるため)、新年を祝う挨拶などは控えさせていただきますが、来年もよろしくお願い致します。
たまたまイシデさんの漫画が続いていますが、元々ことさら出版は活字本を念頭に置いており、来年は漫画以外も出せればと思っています。
そういえば、この5年間も他の企画はあったのですが、私が仕事優先かつ、督促などを極力したくない人間なので、他の企画は動きを早められませんでした。
一方イシデさんは、商業漫画家引退を宣するまでも、活動のフィールドを絵などの作品づくりに移しつつあり、今年は完全に作家としての1年になっている。
そのため、『私という猫 完全版』を出すと決まったら、発売記念の展示ができると思うという話になり、実際にキャッツミャウブックス様での展示が決まり、そこまでに本がないと大変なことになるというプレッシャーが背中を押してくれました。
またイシデさん自身も、本のための作業を作品づくりの合間を縫ってガンガン進めてくれるので、まあ企画が進むこと進むこと。
本当は私がやらないといけないことなんですけどね……。
話が最後に脱線してしまった。改めて、来年もよろしくお願い致します。