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「小さな言葉」で繋がり、寄り添って言葉を探していくことの尊さについて思うこと

本noteは、以下のプロジェクトを眺めていてふと思い出したことや考えたことについての記録です。見出しもなくだらだら書いています。
「生きるのしんどい」そうこぼせる場所を子どもたちに
#こどもLINEプロジェクト

高校生の頃、人生で一番病んでいた。「華の女子高生」というレッテルを知らぬ間に身に付けながらも、そこからは程遠い高校生をやっていた。

学校にはほとんど昼から通い、暗くなるまで部活に励み、バスに乗り込んで帰宅する。終バスで帰るなんてことも結構あった。

自律神経が狂っていて、週に1-2回くらいは原因不明の高熱を出して学校を休んだ。採血と点滴をしている時間が好きだった。

当時、わたしは家庭環境もやばければ衣食住の生活も乱れていて、多分心身ともにギリギリだった。もともと小学生の頃から継続してきたストレスが限界を迎えていたのだと思う。うつだったし、親に黙って受診した心療内科でもそう言われた。高3の終わり頃には家から出られなくなって、リビングで座り込んだまま数時間ひとりで泣いていたこともある。

友達はいた。皆とても良い子だったし、バンドの仲間だっていた。皆といることは私にとって唯一の楽しい時間で、とても恵まれていたと思っている。友達は好きだった。友達は大切だった。学校はたったひとつの安全な場所だった。

だからこそ、そこで弱音を吐くことはできなかった。

友達の悩みを聞いてそれに共感したりアドバイスしたり励ましたりしながら、そういう自分でいられている時間に、わたしの日常を持ち込もうとはとても思えなかった。

この数年親の手料理は食べてない。家はほぼゴミ屋敷だし、冷蔵庫の中に新鮮な食材なんてほとんど入っていない。家族の衣類を洗うために洗濯機を回す人はいないから、制服はいつも自分で手洗いしている。お風呂場は汚れていて安らげない。寝る場所がないから親のベッドの隅っこで寝るしかない。自分が「その役割」を担えば済むのは理解しているけれど、その折り合いもまだつかない。やればいいだけのことだともわかっているから、誰かに何かを求めるつもりも毛頭ない。

そんな、当時はまだ自分の言葉で語ることもできなかった状況を、唯一息のできる学校という場所にまで持ち込みたくはなかった。どうせ帰ったらそれがあって、むしろ頭の中では365日ずっとそれを考えている。明日も明後日も状況は変わらない。ちょっと掃除や料理をしてみたって、状況は何も変わらなかった。果てしない日常。それをどうしてわざわざ持ち出す必要があるのか。

その時のわたしはとにかく疲れていた。友人に対して気をつかいながら、気をつかわれないようにしてこれまでの全てを話すなんてことに、メリットが全然見当たらないと思った。
だけどどこにも吐き出さないでいると死んでしまう。比喩じゃなくてリアルに、限界値を超えてしまう。

だからわたしは書いていた。ひたすら。

こうやって文章として書くこともあれば、ネット上の顔も名前も知らない人たちの集まる場所で書くこともあった。

同じように書いている人の投稿に共感や励ましも書いた。自分よりももっと深刻な悩みを抱えていそうな人のスレッドもよく読んだ。自分で自分を慰められない分、持て余す言葉で誰かを慰めていたのかもしれないけれど。

リアルの世界でも友人と愚痴や悩みを言い合うことももちろんあったし、同じような悩みを持つ子と少し深い話をすることもあった。それでもやっぱりわたしは友人の前では泣けなかった。一緒に話していて泣いてしまう友人をいつも慰める側だった。
人前じゃ泣けないよな、そういう性格だし、と思っていたけれど、文章を書きながら嗚咽をあげて泣くことは何度もあった。

たった一度だけ、どうやってそこに行き着いたのかさえもう覚えていない公的機関の相談員の方に話をしに行ったことがある。

大したことは言われなかったし、大した話はしなかったと思う。当時の自分は今よりももっと話すことが苦手だったし、事前に内容をまとめないと人に伝えられないような人間だった。その頃はまだまだ自分のこともわかっていなかったし、言語化できたことなんてほんの少しだっただろう。時間としても1時間とかそれくらい。それでも、その日初めて会った人の前で、わたしは自分でも引くぐらいに泣いていた。それまで何度知り合いに言われても響かなかった「大変だね」とか「頑張ってるね」とか、なんかそういうありきたりな言葉で泣いた気がする。見ず知らずの人の前で自分が泣くなんて信じられなかったけれど、涙は止められなかった。

縁あって「ほめるBar」という活動をたまにしている。その時にも、「初めまして」と挨拶をした10分後に涙を流してお話をしてくれる人がいる。

結局、わたしたちは“リアル”の世界じゃないところだからこそ見せられる本音があったり、弱さがあったりするのかもしれない。“リアル”の世界を守りたいからこそ、そうではないところで伝えたい、わかってもらいたい何かがあるのかもしれない。

弱さも含めて全部を伝えられる関係性の方が良いよ、という通説はわかる。わたしも確かに、自分が周りにいる側の人間だったらぜひ伝えてほしいと思う。だけど、相手がどうとかそういうこと以前に、自分自身の段階としてそれが難しい時というのがある。あるいは本人の生き様としてそれを望んでいないということもあると思う。相手を信用していないからとかそういう話じゃなくて、多分、自分のために守りたい世界というものも、人にはあったりするんだろう。

ヒールなんて履かずにスニーカーを履けば楽だけど、血塗れでもいいからヒールを履いたわたしを見せたい、ヒールを履いたわたしでいたい、ということも、多分ある。

子どもの頃って、内省して言語化する力がまだまだ育っていない時期だと思う。大人になったって難しいんだから当たり前だ。
今何を感じていて、その正体や原因は何で、自分はどうしたくて、それはなぜで、そのためには何が必要で……なんて、いちいち正確に言語化できるティーンなんてまだまだ少ないんじゃないか。(もちろん大人も)

赤ちゃんの頃は周りが必死に察してくれる。「どうしたの?お腹が空いたの?眠いの?」って、一生懸命に不快の原因を探ってくれる。
だけどちょっと喋れるようになって動けるようになって人格が形成され始めて、自分で学校に通って勉強して…ということができるようになったら、「自分で伝える」ということが当然のように扱われる。伝えていない言葉はどこにも届かない。
だけど10代の頃なんて、まだまだその練習期間であって当然なんじゃないのだろうか。伝えられない言葉があって当然で、伝わないことも全然あって、そういうことを練習しながら習得していくビギナー期間だろう。

だからこそ、子どもたちには“リアル”じゃない世界でこぼせる小さな言葉が必要になる気がする。

つかれた、だるい、うざい、最悪。

どうしよう、つらい、しんどい、悲しい。

そんな言葉しか出てこないときに、それでも絞り出したその一言に、「どうしたよ」「わかる」「だるいよな」「最悪だったか」って言ってもらえることが、寄り添って言葉を一緒に探り当ててもらえることが、どんなに尊い救いになることか。

友人同士でこれができる場面もあれば、親子でできる場面もあれば、先生とできる場面もあるだろうけれど、それができない時に思い出せる場所が何か、あったらいいよなぁと思う。

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LINEで一言「しんどい」って送るだけで誰かが一緒に言葉を探してくれる、そんな子どもたちの“居場所”をつくろうとしているとりくみがあるそうで。わたしも個人的に支援したのですが、6/30までクラファン中らしいので興味ある方は一度ページを見てみてください。

(※わたしはプロジェクトには一切関わっていませんが、知人がやっていて個人的にとても共感できる応援したいプロジェクトだなーと思ったのでシェアしています。笑)

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なかにし(nia)
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