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「空白」で生きていたい

なるべく「空白」でいたい。

そう思うことが増えた。常時考えているというよりは、それでさえ無意識の、空白の中にあることが多い気がするけれど。

先日、音楽をやっていた知人がCDやアンプを手放したという話を聞いた。「魂を売った」と、彼は言った。正確に言えば、LINEの画面上にそう書いていた。軽いトーンのふざけた言葉だったとしても、それは確かに彼の中にある感覚なのだろう。わたしだったら、きっとそんな言葉は出てこない。

夜中に彼の言葉を眺めながら、なんだかとても尊い瞬間に立ち会えている、というような感覚になった。神聖な儀式に立ち会っているかのような、不思議な清々しさがある。

きっと、彼はこれから新しい魂を手に入れていく。勝手ながら、わたしには彼のその行為や言葉が、そのための禊のようにも見えたのかもしれない。活字であれ声であれ、言葉には心が宿る。彼の言葉には、微かな清々しさが漂っているように見えた。綺麗だった。

人は何かを手放したとき、とてもうつくしくなる。

それはお浄めなんかと同じことで、空白をつくり、何かに導かれる準備を整えているということなのではないかと思う。

できるだけ空白でいたい。

何者であるとか、何をする人間であるとか、そういったことは根本主題からは外して、手放して、与えられる導きを受け取る準備だけを、ずっと整えて在りたいと思う。

常に手放せる状態をもつこと。それでもひとつひとつの縁を愛しく大切に想うこと。

「自分」の外側に導かれる人生は面白い。
だからわたしは、空白でありたいなぁと改めて思う。何巡もする魂を、瑞々しいままに受け取ることができるように。

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なかにし(nia)
読んでいただいてありがとうございます。少しでも何かを感じていただけたら嬉しいです。 サポートしていただけたら、言葉を書く力になります。 言葉の力を正しく恐れ、正しく信じて生きていけますように。