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お母さんに愛されたいとずっと思っている。

別に、普通に育てられてきた。
ご飯を作ってくれる、清潔な服を用意してくれる、旅行に連れてってくれるなど、愛情はかけられてきている。
体罰もない、極めて普通の親だ。
ただ、寄り添われては来なかったと思う。

ひょうきんでドライなうちの母について語っていくうちに、きっと祖母からも、母は同じように育てられたのだと感じた。
されていないことは出来ない。
意識して変わらない限りは。

お母さんに褒められたいと気づいたのは、22の秋。
長い反抗期が、そのとき泣きながら終わった。
そこからは割と関係も良く落ち着いていたけど、結婚のタイミングで儀式を重んじたい(というか憧れていた)私と、まっっったくそんなこと考えてもいない母親(と父親)に、相当ショックを受けた。
期待していたからだ。それくらいやってくれると。
今思うと、小さい子どもを改めてしているみたいだ。
一周回って、またわがままをかけたくなっているのかな。
わかって!!!!!と。

期待してしまうから、思っていることを伝えるだけで緊張する。
思っている答えはどうせ返って来ないと思う反面、相当に期待をしてしまう。
「期待は手放せば楽になるよ〜」なんて言わないでほしい。
それが出来なくて困っているのだ。

直接言うのもできる気がしない。
困ったなぁ、エンプティチェアのワークでもする?

『日常の風景と言っていいトラウマ』(京都大学、立木教授)という言葉をこういう形で使っていいかわからないけど、これくらい“なんでもないこと“で人は傷付いていると思う。
日常的に自分でケアをする。
日常的に人にケアしてもらう。
それが出来る人を増やしたいね。
そう、それがしたいんだ。

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