2月13日
朝にこの日めくりの言葉をみたので、今日は韓国料理をひとりで食べに行こうかなと思ったりもした。韓国料理屋さんにひとりで行って、参鶏湯ハーフとかサムギョプサル、キンパとかスンドゥブを食べるのが好きなので。
けれど、お昼休みにTwitterをみていたら、会ったことはないけれど大好きなお姉さんの新しいお仕事が決まったということで、お赤飯を炊かなくちゃ!とわくわくしながら夜ご飯の材料を買って帰宅した。
誰かのお祝いにお赤飯を炊くって、とても嬉しい。
最近はきちんとしたご飯を作っていなくて、適当におかずを作ってご飯と食べたり、パスタをつくったり、パンにバターを塗って満足していた。献立をきちんと考えて、それに合わせて買い物して、ということをもう少しちゃんとしなくては、と思っている。なぜなら、私は諸々の事情から、キャリアアップのために、料理修行中の身である。言っておくが、花嫁修行なんて時代遅れな言葉でまとめないでください。
一人暮らしの自炊と、家族のためにご飯をつくるというのは、その意識も内容も全くちがうなと感じる。一人暮らしなんて、腐ったものを食べないように気をつけて、なんでも鍋に突っ込んで、卵かけごはんしておけば問題ない。しかし、誰かと一緒に住んでいるとき、そうはいかない。盛り付けの綺麗さや栄養素、前日の食事や家族の体調など、気にすることがとても増える。そんなとき作り手はきっと自分がなにを食べたいかってことは、少しだけしか考えない。
私の母も、「今晩なにたべたい?」が口癖だった。誰かのためにご飯をつくるほうが楽しい。絶対、そういうものだ。作り手にとって、自分の目の前でもりもり食べてくれる人をみる以上に幸せなことはない。
寒い冬、がんばって作った蕪のシチューをとある風邪ひきの友達のところに持って行ったことがある。風邪ひきさんだから、なるべく栄養のあるものをと思い、いつも行く安いスーパーではないところで、鶏肉と蕪を買った。
完全に優しさの押し売りだけれど、次の日に「あれ、蕪?すごく美味しかった〜」と言ってもらえて嬉しかったという記憶は温かく心に残っている。
そう考えると、結婚したりせずに一人でいる選択は楽だけれど、ずっとずっと自分のためだけにご飯を作り続ける生活なんだ…と寂しくなる。とびきり美味しいものは、誰かのために作りたい。誰かと一緒に食べたいな。
でも、自分のために作った生姜焼きもなかなか美味であった。
本日の献立:生姜焼き、ポテトサラダ、にんじん明太子サラダ、玉ねぎ味噌汁、お赤飯、牛乳。
そんな2月13日。
エチカ