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【短編】完璧な骨になる
リカは、悪意にすごく敏感。リカがおとなになったのはね、十歳のとき。それまでもCMに出たりしてたんだけど、ハンバーガーをつかむ手だけだったり、ギャラはそのつかんだハンバーガーだったり、パッとしなかったのね。でも、その時すごく人気だった女優さんの子ども役でリカがちょこっとだけ出たドラマで、一気に注目された。急きょリカの出番を増やした脚本で収録し直すほどだったもん。理由? そんなのわかんないよ。社長によると、第三話で、「ママ、あたしは十歳で、大人になったんだよ」って 涙をこぼしながら言ったセリフが刺さったらしい。リカ、そんなこと言ったかどうか覚えてすらいないけど。たしかに、うそ泣きは得意だったかな。で、本当にそうなった。
地元の小さい子役事務所から大手芸能事務所へ引き抜かれた。社長は顔に皺ひとつないてかてかしたおじさんで、リカのホロスコープはすごくすごくいいんだって、ころころした玉のたくさんついたブレスレットをくれた。
レッスンの先生は、ママに
「リカちゃんの骨格は完璧です」
って言った。
「テレビやCMの仕事もいいですが、リカちゃんは将来的に、モデルをやるべきです。いいですか、モデルは生まれもっての骨格がすべてなんです」
顔なんて、ついていればいいんです、って。そっか、リカは骨がいいんだ。演技のレッスンに加え、ウォーキングやポージングのレッスンも受け始めて、間もなくティーンズ誌のオーディションを受けることになった。驚いたのは、面接室に入った途端、合格が決まったこと。決め手は、全体のオーラと、やっぱり骨格。社長のよく言う「オーラ」っていうのが何のことかさっぱりわからなかったけれど、リカはティーンズ誌の専属モデルになった。専属はほかにもリカよりお姉さんのモデルが何人かいたけれど、中学生でぐんぐん成長する途中のお姉さんモデルは、はじめはとてもいい体つきで可愛らしい顔立ちでも、変に顔だけ伸びてしまったり、手足が大きい割に身長が伸びなかったり、胸だけ大きくしまったりと残念だった。リカは、顔も手足も目鼻立ちのバランスも崩れずすんなりと育ち、腰がくびれて顎がすっきり細くなった。リカのバランスのいい二次性徴は、完璧な骨格によって、はじめから約束されていた。
すぐにリカは表紙を飾るようになり、特集が組まれて、CMの年間契約と、主演映画の撮影が決まった。
「やっぱり、リカちゃんは特別だから」
マネージャーさんも社長もママもそう言ったけど、リカにいい話がくるたび、はじめは世話を焼いてくれていたお姉さんモデルたちが、よそよそしくつんけんとなっていくのが実はちょっぴり悲しかった。
ドラマの現場は楽しくて、ADさんやディレクターさんはかまってくれるし、元気よく大げさに台本を読むだけで監督にほめられる。普段はリカ、こんなに大きい声で喋らないし、すぐびっくりしたり笑ったりなんてしないんだけど、「とても子どもらしい」「演技派」と言ってもらえた。だからリカ、みんなリカのこと好きなんだって信じてた。
ある日、学校へ行くと、男子がにやにやしながら雑誌を見せてきた。
「これなあに」
「読んだことねえの? 週刊誌」
ふうん、と思いながらページをめくると、リカの顔がたくさん出ていて、ものすごく驚いた。知らないところで、こんなにリカが見られてるなんて、 ちょっと照れる。
「うっわーっ、すっごーい! ねぇみんな、五〇ページを観てみようよ!」
男子が、ドラマのリカの真似をする。五〇ページを開くと、『好きな・嫌いなタレントランキング』という特集だった。
「おめでとうございます! リカちゃん、嫌いなタレント第一位!」
「日本一の嫌われ者でございます!」
男子がはやしたて、女子は多少遠慮しながらも、薄笑いを浮かべている。リカは、ふうんって感じだった。だってリカ、好きなタレントランキングでも第一位だったもん。どういうことか、よくわかんない。リカは、全国でいちばん好かれていて、いちばん嫌われてるってこと?
それをきいたママはすごく怒ったたけれど、マネージャーさんはうれしそうだった。
「良くも悪くも、リカちゃんが注目されている証拠ですよ」
リカ、よく意味がわからなかった。わからないまま雑誌の撮影へ行くと、リカの衣装の靴の中に画鋲がばらばらと入っていた。お姉さんモデルが固まって、ちらちらと靴を眺めるリカを見ていた。画鋲を踏むと、けがをする。つまり、この画鋲を入れた誰かは、リカを傷つけることをためらわない人なんだ。
自分を守らなきゃ。
その時から、リカ決めた。リカは、リカを好きな人だけ好きになろう。リカのことを嫌いな人へは、やられる前に、やる。
罪悪感なんて、みじんもなかった。だって、もしリカがあの子の衣装を破いてなければ、リカが悪い噂を流さなければ、嘘のスケジュールを伝えなければ、リカの方がやられていたかもしれないんだもの。
わずかな敵意にも、敏感になること。
そうしたら、あっという間にティーンズ誌のトップモデルになり、そのまま大学生向けのファッション誌、さらに人気レディファッション誌の専属モデルへ仲間入りした。
でも、それはリカがたくさんのひとに求められてるからじゃない。骨格が完璧だから。新しいマネージャーさんはおばさんだったけど、女の嫉妬はこわい。パートナーのくせに、リカの足をなんとかして引っ張ろうと躍起だってこと、すぐに見抜いた。コーラはゼロカロリーにしてねって何度言っても、太らせようとしているのか普通のものをわざと用意するし、スケジュール報告の文字使いも、細かく赤で指摘してくる。「すき焼き」を「鋤焼き」って書けって、おかしくない? たしかに、自分のことでもないリカの一週間の行動予定や朝昼晩食べた物を逐一チェックして素行会議をするなんて、ばかばかしくもなるかもしれない。リカだって、ばかばかしいから、適当に書いてるもん。本当は一日ソファでだらだらしたりネットサーフィンをしたりしていたけれど。
八時・起床、朝食(ヨーグルトとみかん)、九時・掃除洗濯、一〇時・通信高校の課題、一二時・自炊/昼食(野菜炒めと白米、スープ)、一三時 レッスン、一八時・自炊/夕食(チゲなべ)、一九時・ランニング/入浴、二一時・ブログ更新/ファンレターの返信、二四時・就寝。
あぁ、「チゲなべ」はきっと赤が入るから、「チゲ鍋」に直しとこう。からっぽのスケジュールがからっぽな会議で見られ、リカはからっぽな来週の目標をたてる。
ある年、雑誌の専属モデルオーディションが開催されることになり、すでに専属だったリカは、ファイナリストたちの審査員に選ばれた。どの子も似たり寄ったりの面接が続くな か、ずばぬけている子がひとりだけいた。手足はすらりと長く、長い首の上にびっくりするほどちっちゃい顔が乗っていた。骨格は完璧。さらに、目鼻立ち がくっきりしており、おまけにリカより若かった。
ああ、リカの将来のライバルになる子だって直感した。この子の敗因は、甘さだったと思う。控室からトイレへ向かう彼女を追い、衣装が汚れちゃうから、持っていてあげるよ、ってにっこり手を差し出したら、その子「ありがとうございます」、ってためらいもなくリカにバッグを預けちゃうんだもん。そこへ、リカ、自分の 財布を滑り込ませる。あとは、楽屋へ戻ってうわーんと泣けば、リカの勝ち。意地悪って言われてもいい。だってリカはもう、全国一の嫌われ者だもん。
同期モデルのかのんちゃんがダイキくんと付き合ってることは、すぐに察した。リカ、そういうのって、すぐにわかる。勘がいいの。ダイキくんって、たしかあの落ち目の俳優。銀河ヒーローなんとかって戦隊テレビ番組出身で、にこやかに振る舞ってはいるけど、リカにはわかる、あいつはヤなやつ。あんなののどこがいいのか、リカにはまったくわかんなかったけど、いつかかのんちゃんが脅威になった時のため、この切り札はとっとくことにした。
そんな折、ワイドショーのリポーターとして、ダイキくんの新しい舞台についてインタビューをする仕事が入ってきた。
「ねえねえかのんちゃん、ダイキくんって知ってる? リカ、こんどお仕事いっしょになったんだあ」
撮影の待ち時間、かのんちゃんに報告して、プレッシャーをかけてみる。かのんちゃんはびくっと肩を震わせ、そうなんだ、とこぼした。動揺隠せてないし。
ワイドショーのインタビューは、滞りなく進んだ。リカは笑顔でダイキくんに質問したし、ダイキくんはにこやかにそれに答えた。でも、リカ、気づいた。この人も、リカのことを嫌ってる。たぶん誰にもわからなかったと思うけれど、
『リカちゃん』
の一言、「ちゃん」の部分にわずかな軽蔑の声色が込められていたのを見逃さなかった。
ロケが終わって、ダイキくんの楽屋へ挨拶に行った。ちょうどいつもの若いマネージャーさんは飲み物やらの買い出しへ行ったようで、楽屋にはダイキくんひとりだった。なるべく無邪気なふうを装い、他愛ないところから攻めてみる。
「ねえねえダイキくん、ここだけの話、共演の柴くんのこと、ちょっと苦手でしょ」
さすがダイキくん、笑顔を崩さず答える。
「そんなわけないじゃないですか」
「じゃあ、リカのことは?」
ダイキくんは曖昧に頬笑み、首を振る。
「実は、苦手なタイプなんでしょ」
ダイキくんは微笑んだままだ。アルカイックスマイルって、リカいちばん嫌い。だから、言ってやった。
「うそ。リカ、わかるもん。リカのことちょっとでも嫌いなひとのことは、会っただけでわかるし」
ダイキくんの顔から笑みが消え、リカの肩越しに視線を据えた。
「おれは、みなさんのことが等しく大好きです」
ダイキくんは言った。
「それと同じくらい、みなさんのことが等しく大嫌いです」
リカよくわかんなかった。なにそれ、これって、好きなタレント第一位と嫌いなタレント第一位がおんなじってこと? ダイキくんは笑顔に戻り、
「誰のことも好きじゃないよ」
としずかに言う。なにこいつ、やばくない? 究極に根暗なんだけど。
「愛されたいなら、愛さなきゃだめだろ。でも、おれは誰のことも愛さないんだ。ただひとりをのぞいて」
そこでリカ、とっさに言ってやった。
「それって、かのんちゃん?」
ところが、ダイキくんは首を振った。しらじらしい。
「知ってるもん。付き合ってるんでしょ?」
勝ち誇った気分で、
「かのんちゃんと付き合ってること、ひょとしたらリカ誰かにぽろっと言っちゃうかもなー」
とにっこりすると、ダイキくんもにっこり返してきた。ばっかじゃないの。あんたが笑うとこじゃないでしょ。あわてなさいよ。ところがダイキくんは、こんなことを言った。
「きみはそんな真似はしないね。より追いつめられた時まで、切り札はとっておくタイプだ」
どきりとした。ダイキくんは、目を輝かせ、
「なるほどね。正直、人気にも秘密にも飽き飽きしてきたところだったけれど、追い回されるっていうのは新鮮かもしれない」
おもしろそうだ、ダイキくんはひとりごとのようにつぶやき、
「お願いだ。きみ、おれとかのんのこと、『ぽろっと言っちゃっ』てみてくれよ」
「はぁ!?」
なに言ってんの。お願いって、ふつう逆でしょ? リカに頭下げて、お願いだから内緒にしてくれって頼みなさいよ。
「わっけわかんない!」
「せっかくの美人なのに、眉間に皺が寄っちゃってるよ、『リカちゃん』」
ダイキくんはほほえみ、一言、思い出したように言った。
「ポルシェ」
「なにそれ」
「名前だよ。ただひとり、おれが愛している」
「誰それ」
「きみには関係ないよ」
そこでマネージャーさんが戻ってきたので、しぶしぶ引き下がる。プライドを傷つけられたなんて思わない。そんなもの、とっくに捨てた。ダイキに嫌われてるからって、なんとも思わない。なのに、どうしてこんなにむなしい気持ちなの?
翌朝、リカのオンエアを観た後チャンネルを変えると、別のワイドショーでもダイキくんの舞台挨拶が取り上げられていた。
『ダイキくんの恋愛って、興味あるなあ。ねえ?』
小太りの男性芸能リポーターがマイクを向けて、観覧客を煽る。きゃー、と声援があがり、ダイキくんははにかむ。きゃー、とリカもおどけて言ってみる。落ち目といえど、そこそこファンはいるもんなんだね。ばっかみたい。アイドルなんて、からっぽなのに。からっぽな生活、からっぽな受け答え、からっぽなほほえみ。
『おれは、人間と恋愛って、一生できないんです。ていうか、誰のことも愛せない、ダメなやつなんですよね』
ダイキくんの口もとは笑っていたが、目ははるか彼方を見つめていた。楽屋でリカを見つめた、あの目に似ていた。
『ええっ、どういうこと? 人間じゃなければ愛せるってこと?』
客席がさざめくような笑いに包まれ、ダイキくんも低く笑いながら、
『そうだな……例えば、猫なら』
一瞬、ダイキくんの瞳が輝き、やさしさと愛が、いっしんになにかへ注がれているのを感じた。それから、ふっとさびしそうな顔になる。ダイキくんって、へんなやつ。ダイキくんのことが好きで好きでたまらないファンはまだまだたくさんいるのに、どうしてちっとも嬉しそうじゃないの。
雑誌の撮影の間も、そこはかとなく胸がすぅすぅしていた。
「リカね、この前、ダイキくんの舞台挨拶の時、インタビューしたんだよお。ダイキくんって、やさしいねえ」
そんな気分を吹き飛ばすように、大声で言った。
「ダイキくんね、リカの手マッサージしてくれたよお。女子はむくみやすいからって。それが、すっごくじょうずなの!」
かのんちゃんの肩が、小刻みに震える。
リカのことを嫌いな人は、たくさんいる。だから、リカが嫌いな人も、たくさんいる。でも本当は、好かれたい。たくさんたくさん、好かれたい。
でも、リカ、誰かを好きになろうとしたことって、あったっけ? いっつも、嫌なとこばっかり見つけて。疑って、目を凝らして。なさそうでも、どうにかこうにか敵意をほじくり返しては、それ見たことかって。
さみしいね、リカちゃん。ちょっと疲れた。もう、だいぶ、疲れた。リカが完璧なのは、骨格だけ。それを除いたら、ただの、意地悪な女だった。誰か、リカのことを好きになって欲しい。愛されたい。ううん、それよりももっと、誰かを好きになって、愛せるようになりたい。
愛し、愛されたい……。
「かなしいよお」
自宅のトイレで、ひとりつぶやいてみる。そしたらほんとに、かなしくなった。
「かなしいよお、かなしいよお、かなしいよお」
こんなに胸が潰れそうなのは、生まれて初めてだった。ドラマみたいにうそじゃなく、心から涙を流すのも。
リカがダイキくんとかのんちゃんのことを『ぽろっと言っちゃう』前に、ダイキくんは交通事故で死んじゃった。つけっぱなしのワイドショーで、ダイキくんは猫を飼っていて、猫の名前は「ポルシェ」だってことを知った。ああ、そう。ふうん。シュークリームをほおばりながら、「一二時・自炊/昼食(野菜鍋、うどん半玉)」とペンを走らせる。ダイキくんの告別式へは行けなかったけれど、きっと、線の細い骨になったんだろうな。骨になっちゃえば、ハンサムも若さも形無しだね。
「ばっかみたい」
ダイキくんも、かのんちゃんも、きゃーきゃー騒ぐファンも、それから、リカも。
リカは自分のことが大っ嫌い。でも、これだけは自信持って言えるよ。
リカが死んだら、リカ、完璧な骨になる。