ゲーム「デトロイト」感想

 ジョン・ボイエガが出演しない方のビカムヒューマン。

 話は突然変わるけど、思想信条に関係なく、文章に色気のある書き手が大好きで、栗本薫や内田樹、あと最近の東浩紀とか内容がなんであれ、とにかく無条件に読んじゃう。

 話はまた突然変わるけど、このデトロイト、最近では珍しい人文屋ホイホイのゲームなのね。シェンムーの頃の鈴木裕とか、エネミーゼロの頃の飯野賢治とか、ふだんあまりゲームをしない人文系の書き手が、技術の進歩に目眩しをくって、実状を越えて作り手を褒めそやしちゃうのを、ゲーマーたちが冷ややかに見てる点がそっくり。

 このデトロイト、ポートピア連続殺人事件の「ばしょ いどう」がものすごく豪華なアクションになり、「なにか しらべろ」が直感的でないレバー操作に置き換えられても、同ゲームのオチのようにエポックメイキングなアイデアはひとつもない。オープンシナリオを標榜しながら、狭い箱庭を製作者の想定通りの幅で動かされるだけで、YU-NOほども分岐しない。つまりは、アドベンチャーゲームというジャンルを何ひとつ更新していない。何やら最新の技術で現実の俳優の演技を表情ごとCGにしているらしいけれど、同じものを何度も見るゲーム性に新鮮さは持続せず、周回のモチベーションを刺激する発明には至っていない。なので、このくらいのストーリーならもう実際の俳優を使って、2時間の映画でサッと見せてよ、映画じゃ勝負できないからゲームというジャンルに逃げてんじゃないのと思ってしまう。

 話はまたまた突然変わるけど、「父として考える」以降の東浩紀は文章に色気があって、思想信条や内容がどうであれ、とにかく無条件に読んじゃうなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?