ゲーム「ランス9」感想
80年代後半から90年代前半にかけてが、和製ファンタジーの全盛期だったように思う。それらの物語は大きく二つに分けることができる。主人公を中心に異世界の歴史を編年記として描くものと、主人公が世界の成り立ち自体に深い関わりを持ち、その謎の解決とストーリーの展開がリンクするものだ。残念なことに、スレイヤーズ!はシリーズの半ばから世界の謎の深奥へは迫らないことを決めてしまった。現実の世界史の固有名詞を置き換えただけのような物語には、元より興味は無い。
さて、ランスシリーズである。ヴァリスが会社ごと消滅し、ドラゴンナイトはエロゲーからの脱却に失敗して頓挫し、イースはいつしか物語ることを止めてアクションゲームとなり、英雄伝説はいつまでも同じ場所で牛歩とも言えない足踏みを続けている。そして、ただただ会社や作家が食べていくためだけの理由で、終わることを許されなくなった多くの物語たち。そんな中で、様々にプラットフォームを変えながら、ゲームジャンルにさえ囚われず、ただ一つの物語を物語るという一点のみをよすがに、ここまでたどりついた製作者の執念に敬意を覚える。
このシリーズは主人公の造形を含めて、イースシリーズに対する極めて自覚的かつ露悪的なパロディとしてスタートしたと理解している。本家は複数の同一ナンバーやオンライン化など迷走を重ね、初期設定にあった大帝国とアドルの直接的な対立へ物語が至ることなど、もはや望むべくもない状態である。
一方で、ランスシリーズはエロゲーという鬼子的出自を逆手にとった破天荒のストーリーテリングで、四半世紀をかけ、ついに一介の冒険者を大軍事帝国の革命へとたどりつかせた。私はこの事実に、胸を突くような哀切にも似た、深い感動を覚える。シミュレーションとしての出来を云々する向きもあるようだが、私にとってこのシリーズは、もはやゲームとして批評する段階を超えてしまっている。この作品は、年齢制限を伴った数あるゲーム群の一つどころではない、かつて市場のニーズを失い、世の片隅にガラクタとして放擲された、一つの物語類型の眩いばかりのよみがえりであり、最後の輝きなのだ。
すべてのお膳立ては整った。次作ではいよいよ、世界がかくあるという謎にひとりの人間がどう立ち向かうかが描かれるだろう。多くの和製ファンタジーがそれぞれの理由で頓挫させてきた究極の命題へ、正面から向き合おうとしているのだ。それがどんな内容であろうとも、私はある時代の生き残りとして、この物語の最期を見届けたい。