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いつでも、流れている「現実」の世界:11

(ここからの12回は、
 長期手術入院体験中に、50代目線で気がつけたことの投稿です。
 4,000文字のやや長文にはなりますが、よろしくお付き合いくださいね♫)


① 突然「最悪な状況」に陥っても、
    体験してみれば「最悪」ばかりじゃないとわかり
 
 反対側の「最善」も、
      気をつけて観察していれば、見つかる。


ご近所の内科クリニックに
やっと診察へ行けたのは、9月後半。

『なんで、ここまで放置したんですか?
 すぐに総合病院へ行ってください。
 
そのまま即、手術入院になると思います。』


7月半ばから、
コーヒーが美味しく感じず

大好きなものなのに、飲めなくなった。


そんな不調を感じつつも
食欲が戻れば、また働き出す。


「お通じがない」と気がつくのは
食べられるようになって、1週間ほど。


休まず働いていた5月6月は
問題なく、スムーズな日々だったから


おそらく
7月半ば頃から8月にかけて


”患部の成長”は、
起きていたんだろうと私なりに、推測。

(↑そんなに大きなものが?と
 検査の結果を聞いた時には驚いた。
  そりゃ、その大きさじゃお通じを妨げますね・・・と。)


8月にはもう働けなくなっていて、
自宅で日々を過ごすけど


ルーティーンの部屋の掃除も、
ゴミ捨てもできなくなるほどに


「無気力」になっていた。


ズーンと暗く重たい思考ではないけど

「医者に行って、治ったとしても
 その先に、私が生き続ける意味があるんだろうか?」

ぼんやりと、動画を見ながら考えてみた。

何かをしたい、意欲がない。

食欲すら、湧かない。


こういう時に単身生活者は、

なんとか生き延びる気力を湧かさないと

沈んでいく一方なんだと、思う。


家族や友人との日常的な関わりって、大切だ。

(↑原因が特定できた時に
この無気力は「病状によるもの」だと、判明。)


クリニックの紹介状をもとに
入院の用意をして、総合病院へ向かい。

内科の先生も、紹介状を見て
『そんなに医者が嫌いですか?』とコメント。

(↑はい、そうですとは
  流石に言えなかったけど、先生鋭い!とは思った。)


そして即、
検査入院の準備が進む。

それに伴う「医療事務の書類」が出てきて
ぼんやりしたまま、何回ものサインをし。

点滴に繋がれたかと思えば、
別の部屋で

すぐに鼻から胃へと、管が通される。


一気に地獄へと
突き落とされたような恐怖と

「やっぱり、医者には来るんじゃなかった」の、後悔。


内視鏡については
12年前にも「体験済み」だったけど。


麻酔なしではいられない程
私には吐き気がして、苦しいもので。


男性スタッフ3人の力で私を押さえて
「リラックスして!」と叫ばれるけど

(この状況で、リラックスは無理でしょ。)

とんでもない苦しさを感じつつ、
思考は案外、冷静な観察をしていた。

そして、気がつく。


きっとこの「男性スタッフ」たちは、

相手をリラックスさせることも
”リラックス”した経験もないんだろう、と。

若手だったから仕方がない、とも言える。

日本社会で育ったから、
私も逆の立場なら、きっと同じことをしていたと思う。


看護師さんの中には
ベテラン世代の方々もいらして。

きっと母親経験があるんだろうな〜と
羨ましくなってしまったけど。


検査の苦しさに「怯えている私」を察して
言葉掛けも、してくれることも、格段に違った。


肩に優しく手をかけて
「大丈夫ですよ。」と、囁くように伝えてくれる。


赤ちゃんや幼児に接するように
無言でも、手でトントンとゆっくりリズムを刻む。


私自身はすでに50代、でも。

弱りきっている身体に、入院時の恐怖。

お顔は拝見できなかったけど、
その対応は、女神の登場かと思えるほどだった。

神対応、っていうものを受けた体験。


看護師さんたちの、日常のお仕事には
頭が上がらない。


私にはできないと思える仕事を
交代勤務でも、日々こなしている女性たち。


確かに状況によっては
仕事の仕方が人の命にも関わるけど、


芯が強くなきゃできそうにないし
そうじゃなかったとしても


日々の仕事で鍛えられるんだろうな、とも思う。


患者、という立場で。


50代、とはいえ不調も不満も重なると
誰かにぶつけたくなることもある。


そんな罵声を
隣の部屋の男性が、発していた時に


その男性の気持ちも
確かにわかるよな、とも思えたし


謝るしかない若手看護師さんも
どうにもできない状況で

さらに辛いだろうな、とも思えた。


私自身も、
入院から手術が終わる1ヶ月後まで


何かと不満だらけだった。
(サービス業勤務の経験上
 入院先にも、そのレベルを当然だと思ってしまっていた。)


その都度
声に出せればよかったけど、


限界がきて爆発するまでは、
ついうっかり、我慢してしまっていた。


後にも出てくるけど、
怒りの袋はある程度

「緩めておく」「息抜きする」ほうがいい。
(小さいうちに怒っておく。
 そのほうが相手にも、自身の身体へも負担が少ない。)


自分自身に留まらせずに、
そのエネルギーを「行動」に変えること。


退院した後の検査で
『肝臓癌の影があります』と診断されたけど、

そりゃ、怒りを入院期間中に溜め込みましたから
その結果としては当然でしょ、と。


ものすごく冷静に判断している、私もいた。


入院開始からの点滴をはじめ
絶飲食の10日間。


管だらけの身体で、
ほとんど眠れない日々。


骨と皮になって
姿を鏡に映せば


60代をスキップしてしまって
明らかに70代に、見える。


多数の薬も投入されたし、
その後の浮腫も、ひどすぎた。


歯磨きもできないし、
そもそもそれを「忘れるほど」だった。


(歯ブラシ持ってこなかったと
 気がつけたのは入院3日後。

妹にその後用意してもらったけど
管が鼻にあって口も上手く動かせず

ほぼ、磨けない。
最終的にしばらくの間
マウスウォッシュのみ、になった。)


入院生活って、こういうことなんだ。

体験しなきゃ、知り得ないことばかり。


大部屋でカーテン越しに聞こえる
他の患者さんの声も、奇声も


こういう日常を生きている人もいるし、

たまたま、
私のように一時期体験する人も、いる。


この体験は、50代だったから
ギリギリ乗り越えることができた。

(私の場合、60代になっていたら
 悲観するしかなかったかもしれない。)

体力的にも、精神的にも
耐えられなかったかもしれない。


入院生活中、1度の精神的なパニックと
しばらくの「幻覚」、3度の不満爆発。

手術し直しの、2度目まで???


人生の経験で
これ以上のひどい体験はもう無いだろう、と思う。
(もちろん入院なんて、2度と選択しない。)

そんなことを、思う反面。


『身体が動かせない』状況を体験して
動けないことへの苦しさを、知ることにもなった。


80代になって衰えている
両親の気持ちも、それなりに想像できる。


入院先のベットは電動式で
ボタンで動かせたけど、馴染めなかった。


日常生活ができなくなった高齢者に、
これは果たして、使いこなせるものなのか?


手術前後の「おむつ生活」も
意識がはっきりしている状態では

やっぱり不快だと感じた。

(2度ほど、助かったけど
 今後は使いたくないとも、思う。)


利尿剤で浮腫を解消しようとした
医療機関の「薬対応」は


私には、最後まで拒否したにも関わらず
点滴の投入にも使われてしまい。


退院して1ヶ月間は
その影響が残ってしまい日常が辛かった。


「意思を伝えても、無理なんだ。」


そう感じた時には
薬を飲まずに廃棄するしかなかった。


手術から3ヶ月が経過して、
ようやく気持ちも前向きに


「回復を待てる余裕」もあるものだけど。


今もお腹には腹水が溜まって、
妊婦さんのようにぷっくりしている。

『まんまるなお腹も、愛嬌だよね・・・。』


実家の療養生活にも慣れてきて

そこまで受け入れるようにはなったけど。


2度と、医療機関での
手術入院はしないと思う。

退院後の検査のエコーで

肝臓部分に影が6個、
うち2個は明らかだという。


そんな診断が出て
実家の家族も担当医も

やたらと「がん」を主張したがる。


(そりゃ、「一般的には」そうだよね。)


それでも、私自身はこれ以上に
身体へ負担をかけたくない。


自分の身体の
回復力を信頼することで、生き抜く。


寿命なんて、そもそも
決まっているかもしれないけど、


誰にもわからない。


だったら、
自己信頼を選択する。

もし、回復の事例を
私が一つ増やせたなら、


それは
次世代への参考になり得る。

「一度、死んだと思えばいい。」

そもそも、
無気力も経由していたし

あまりの入院時のストレスに
パニック時には、

自らを納得させたくて
ただ「生きている」ことを、上出来にしてみた。


ここまで、
自分自身を信頼できるとは、思えなかった。


これも、手術入院体験あってこそ。


何事も、私次第。


医療技術のおかげさまで
「腸閉塞」の原因を


「盲腸がん」と特定できて
お見事に開腹手術で取り出してもらえた。


そこは、感謝でしかない。
(私には、どうにもできなかった。)


あとは、私次第。

日常生活を、整えていくこと。


昭和世代の、
固まった思考回路や

自己犠牲・我慢の思考を
キッパリとやめていくこと。


幸いなことに、私は
手術前の説明で

盲腸にあった
「取り除くべき」癌の塊に


活き活きした『元気な艶』を、見た。
(私の細胞に、暗さがなかった。)

その時に、外科手術も
「大丈夫」だと思えたし


手術を担当してくださる先生の
明るいお人柄にも、安心できた。


患者側の感じていることを
日々の短い時間の回診で、

きちんと聞いてくださる先生だった。


おかげさまで、疑問についても
素直に話すことができた。


看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん
看護スタッフの方々も


暖かいご対応に
不安を話せる相手になってくださった。


(はじめは不満もたくさんあったけど、
 入院の経過とともに、私の理解が進んだ。)


『最悪の事態』だと、
一旦は感じることでも、大丈夫。

現実は、
いつまでも同じままじゃない。


私たちの内面が変化している流れとともに
(不安定にも、動き続ける中に)

波があって、良くも悪くも
いつでも動いているもの。

その波を、
当事者が、どう受け止めるのか?


2025年になって
「いろんな変化が起こるよ」とも、言われるけど。


まずは、
私を整えておくことが大切。


身体が整っていて、心も落ち着いて。


日々がご機嫌であれば

何かあっても、対処できるはず。

(魂というものは、その辺りもよく知っているらしい。)


何かしらの荒波があって
「毎日がご機嫌」じゃなくても、いい。


ご機嫌な時にだけ、
具体的に少しだけ、行動してみればいい。


その行動の先に
次の楽しい展開が、待っているけど

それは、動いてみるまでの「お楽しみ」に❤️

新しい展開に気がつけるのも
当事者の、あなたでしかない。


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